法隆寺・中宮寺・法起寺・法輪寺 御朱印めぐり
斑鳩の里は、奈良県の北西部に位置し、世界最古の木造建築である法隆寺を始め古刹の五重塔や三重塔が点在する静かな山里です。
推古天皇の甥で、摂政であった聖徳太子が、当時政治の中心地であった飛鳥の地を離れ、601年この地に斑鳩宮を造営したことが発展の始まりです。
聖徳太子はこの地で、「十七条憲法」や「冠位十二階」を制定し、日本の律令政治の基礎を築きました。
また遣隋使を派遣して、大陸の文化を日本へ広く移入した事でも知られています。とりわけ仏教の布教に努められ、この斑鳩の地には、太子ゆかりの寺や文化遺産が数多く残っています。
今回は、JR法隆寺駅から徒歩で、のどかな田園風景が広がる斑鳩の里の御朱印めぐりに行ってきました。
法隆寺
JR法隆寺駅からほぼまっすぐ北に20分ほど歩くと、法隆寺に到着します。
法隆寺の縁起によりますと、聖徳太子と推古天皇が、寺の建立による病平癒を願
っていた先帝・用明天皇の遺志を継ぎ、607年に薬師如来を本尊に創建したのが法
隆寺の始まりになります。
飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。
現在の法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分
けられています。広さ約18万7千平方メートルの境内には、190件に上る国
宝や重要文化財に指定された建物や宝蔵物があるそうです。
建造物としては、本尊を安置する飛鳥時代に建てられた威風堂々とした金堂(聖
徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像、太子の父である用明天皇のために造ら
れた金銅薬師如来座像などを安置)や聖徳太子を供養するための殿堂として建て
られた夢殿(秘仏救世観音像を安置)、また飛鳥時代に建てられた日本最古の五
重塔など境内には、国宝がずらりと並んでいます。
また宝蔵品では、百済観音堂にある『百済観音像』は、八頭身のすらりとした優
美な姿が印象的な仏像であり、飛鳥時代を代表する仏教美術として有名です。
また、百済観音堂の両隣り、東西の宝蔵では、有名な夢違観音像や推古天皇が所
持していた仏殿と伝わる玉虫厨子(飛鳥時代)など多くの宝蔵品を、まじかで観
賞することが出来ます。時間がいくらあっても足りないのが法隆寺と言えそうです。
下の写真は”夢殿”になります。
正岡子規が茶店で柿を食べ一服していた時に詠んだと言われている『柿食えば
鐘が鳴るなり 法隆寺』の句碑(写真下)も境内の鏡池のほとりに立っていました。
見どころ満載の法隆寺、多分、拝観疲れをとるために休んでいると鐘の音にしみ
じみ秋を感じたのではと思います。
御朱印には、十七条の憲法の第一条『和を以て尊しとなす』と墨書きされていました。
中宮寺
法隆寺夢殿の隣に位置するのが、法隆寺を総本山とする聖徳宗の中宮寺です。
寺伝によりますと、中宮寺は、聖徳太子の母になる穴母穂部間人皇后の願いによ
って、そもそもは聖徳太子の宮居を中央にして、西の法隆寺と対象的な位置に創
建された尼寺だそうです。
戦国時代に現在の地に移るとともに、皇孫尊智女王が住職となり、以来尼門跡と
して、寺観を整えてきたのが中宮寺だそうです。
飛鳥彫刻の最高傑作とも言われている“考える像”国宝の“菩薩半跏思惟像”(如意輪
観音菩薩像)を本尊として祀っているお寺としても有名です。
半跏思惟像の端正な顔とその優しいほほ笑みをまじかで見まして、これまで多く
の悩める女性の心を癒してこられたのではと感じた次第です。
御朱印には、門跡としての“菊紋”と本尊の“如意輪観音”が墨書きされています。
また”亀”の印は、寺宝の曼荼羅図にある「亀甲型」をモチーフにしたものです。
法輪寺
中宮寺から北へおよそ1キロ、15分で法輪寺に到着です。法輪寺は、聖徳宗の
寺院であり、本尊は薬師如来、創建は、7世紀になる古刹です。
斑鳩の里でも北方にあり、土地の名によって三井寺(みいでら)ともよばれています。
三井の地名は古く、聖徳太子ゆかりの三つの井戸がこの地にあったことに由来しているそうです。
法起寺
法輪寺から東へおよそ一キロ、斑鳩の里のゆったりとした風景に見入られなが
ら、15分弱で、法起寺に到着です。
法起寺は、法隆寺、中宮寺などと共に聖徳太子建立七カ寺の一つに数えられる聖
徳宗のお寺です。
寺伝によりますと、創建は606年、聖徳太子が法華経を講説されたという岡本
宮を寺に改めたものと言われ、当初は、尼寺であったと言われています。
御朱印には本尊の“十一面観音菩薩”が書かれています。
現存する創建当時の建物は、706年に建てられたと伝えられる“三重塔”だけです
が、これは日本最古の三重塔になるそうです。
コスモスが似合う斑鳩の里にたたずむ、三重塔が印象的な法起寺でした。