高千穂神社・天岩戸神社・阿蘇神社・西厳殿寺 御朱印めぐり
阿蘇は、東西およそ18キロ、南北25キロの世界最大級のカルデラになります。
カルデラとは、大量な火砕流が噴出したため、地下が空洞化し出来た窪地を言います。カルデラの中は、緑豊かな草千里や美しい田園風景が広がり、中岳の火口は今も噴煙を噴き上げています。
高千穂は、天孫降臨の神話が息づき、悠久の時間が流れる神々の故里です。
阿蘇の溶岩台地を水が浸食してできた渓谷が至る所にあり、ここが神話の国であることを実感させられる所です。
今回は、レンタカーで高千穂から阿蘇へ、御朱印めぐりの旅をしてきました。
高千穂神社(宮崎県)
高千穂神社は、宮崎県高千穂町にあります。
高千穂神社の創建は、11代天皇である垂仁天皇の時代とされるが、詳細は不明です。祭神は、高千穂皇神と二之御殿の十社大明神になります。
高千穂皇神は、天孫降臨で高千穂の地に降り立った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)そしてその妻、
木花開耶姫命(このはなさくやひめ)などの皇祖神6神の総称になります。
高千穂郷には554社もの神社があり、その中でも格の高い88の神社を「高千穂八十
八社」と言い、その「高千穂八十八社」の総社として信仰を集めてきたのがこの
高千穂神社だそうです。
拝殿向かって左前には、根元が1つであることから「夫婦杉」と呼ばれる2本の大
杉があります。
夫婦でこれを3周すると、夫婦円満・家内安全・子孫繁栄の3つの願いが叶うと伝わ
っています。また、本殿後方には「鎮石(しずめいし)」があり、これは垂仁天
皇の勅命による社殿創建に際して用いられた古石であり、すべての悩みが鎮める
ことが出来るそうです。
高千穂神社の祭神である三毛入野命(ミケヌノミコト)が、荒ぶる神である「鬼
八」を退治したという伝説をもとにつくられた鬼八を退治する三毛入野命の彫刻
が本殿裏側の脇障子(写真下)にあります
高千穂神社から南へ徒歩で20分ほどの所に、国の名勝に指定されている天然記念
物“高千穂峡”があります。
高千穂峡は約12万年前と約9万年前の二回の阿蘇火山活動の際、噴出した溶岩流
(火砕流)を五ヶ瀬川が浸食した侵食谷だそうです。 柱状節理のそそりたつ断崖、
千古の謎を秘めた深淵は雄大にして清々しい景観ですので、高千穂神社参拝の折
にはぜひとも訪れたい所です。
天岩戸神社 (宮崎県)
天岩戸神社も、宮崎県高千穂町、高千穂神社から車で20分ほどの所にあります。
天岩戸神社の創建時期は不明です。記紀には天照大神は弟の素戔嗚命(スサノオ
ノミコト)を避け、暫く天岩戸に籠もられた事が記してあり、その天岩戸を祀る
神社と伝えられています。
古くからその神域を御神体として祀られてきた社殿は、天照大神を祀る本社(東
本宮)と天岩戸直拝の拝殿(西本宮)とが岩戸川の渓谷を挟み相対している形で
建てられています。天岩戸神社には拝殿があるだけで本殿はありません。
本殿は聖域「天岩屋戸」をご神体としているからだそうです。
写真は、天照大神を祀る東本宮です。
次の写真は、天岩戸の拝殿(西本宮)になります。
ちなみに、拝殿裏の岩戸川の渓谷沿いに天岩戸がありますが、神域のため立ち入
り禁止になっています。下の写真の地点から200m程下流になるかと思います。
古事記や日本書紀の伝承では、日の神様「天照大神」が弟「須佐之男命」のいた
ずらに怒り、「天岩戸」にお隠れになったといわれます。
「天照大神」が岩屋戸(洞窟)に隠れられると天界・地上界は真っ暗闇となり、多
くの疫病・災いが発生し沢山の悪霊が出て神々は大変困ってしまいます。
八百萬の神々は集まって相談をし、岩屋戸の前に榊の木をたて勾玉や鏡を取付け
て、「天細女命(あまのうずめのみこと)」がみだらな格好をしておもしろおか
しく踊ります。これを見た神々は大声で笑います。不思議に思った天照大神が顔
を覗かせたところ、「手力男の命(たじからおのみこと)」が岩戸を押し開いて
連れ出します。岩屋戸には注連縄を張って封印し、入り口を塞いでいた岩の戸を
「手力男の命」が投げ飛ばします。漸く天界と地上界は元のように明るくなった
そうです。
下の写真は、天岩戸を投げ飛ばす力自慢の神様“手力男の命”の像になります。
ちなみに、この時投げられた岩戸は長野県戸隠に落ちたと伝えられています。
境内には、天照大神の像、天細女命の像も建っています。下の写真は、西本宮入
口に立つ天照大神の像になります。
天の岩戸神社から岩戸川沿いに500m程川上へ行った河原一帯が、「天岩屋」
に隠れられた「天照大神」に、巖から出てもらうため、八百萬の神々が集まって
相談したといわれる天安河原と伝わっています。
その中心に間口40m奥行き30mの洞窟仰慕窟が有り、その中に天安河原宮がひ
っそりとたたずんでいます。
祀られている神様が八百萬神と言うこともあって、石を積んで願い事をすると沢山の願い事が叶うそうです。
弊立神宮 (熊本県)
弊立神宮は、熊本県上益城郡山都町にある神社です。
主祭神は神漏岐命・神漏美命(かむろぎのみこと・かむろみのみこと)であり、天
照大神も祀られています。
社殿によりますと、幣立神宮は、神武天皇の孫にあたる建磐龍命が阿蘇下向時
に、この地に幣を立て、天の神を奉った事が始まりだそうです。
幣立神宮は別名、『高天原、日の宮』と呼ばれていて、参道にもこの地を『高天
原』と記した碑(写真上)が建っています。
「日の宮」とは天照大御神が住む宮殿のことであり、東側の隣町の高千穂町には
天照大御神が洞窟に篭り世に暗闇をもたらした天の岩戸があります。
ここが高天原と言うことに納得感が出てきます。
いただいた御朱印にも“高天原、日の宮”と記されていました。
阿蘇山西厳殿寺(熊本県)
阿蘇山西厳殿寺は、阿蘇市にある天台宗の寺院です。山号は阿蘇山、本尊に十一
面観音菩薩を祀っています。
寺の歴史のよりますと、阿蘇山西厳殿寺の始まりは、神亀三年(726)、阿蘇の湯
だまりの地で修行せんと天竺から来朝した最栄読師によるものと言われています。
最栄読師は阿蘇山の火口の西の洞窟に自ら刻んだ十一面観音を安置し、寺を開い
たのが始まりだそうです。人々はこれを阿蘇山の西の巖殿の寺と呼びました。
これが阿蘇山西巖殿寺という寺の名前の由来になります。
この最栄読師の元に修行者が集まるようになり、修験者たちが坊舎をつくり、こ
の地は西日本の山岳仏教の拠点となっていたそうです。
阿蘇山西巌殿寺では、毎年4月13日に「阿蘇山観音まつり」という行事があります。
県内外からたくさんの信者が集まり、「火渡り」や「湯立て」などの荒行で一年
間の無病息災を願うそうです。
いただいた御朱印には、本尊の“十一面観音”が記されていました。
下の写真は、山里の西厳殿寺から奥の院に向かう”草千里”と呼ばれているあたりの
風景です。
阿蘇山西巌殿寺奥の院(熊本県)
阿蘇ロープウエイの乗り場の脇に建つのが、阿蘇山本堂西巖殿寺奥之院です。
現在の阿蘇山西巌殿寺は、山麓にありますが、創建当時の阿蘇山西巌殿寺は、
今、奥の院が建つ所にあったそうです。
阿蘇山は古来より縁結びの山として信仰を集めており、昔から若い男女が春と秋
の彼岸に阿蘇山の火口へ詣でていました。これは「オンダケサンマイリ」と言わ
れ、この行事に参加して夫婦の契りを交わしたと言われています。
阿蘇山上に位置する阿蘇山本堂西巖殿寺奥之院は、結婚・良縁成就等のご利益があ
らたかで、多くの参拝客が訪れるそうです。
いただいた御朱印は二つ、まずは天竺から来朝したという“最栄読師”の御朱印です。
二つ目は、本尊である十一面観音様がいらっしゃるお堂、“大光普照殿”と記されて
いました。
阿蘇神社(熊本県)
阿蘇神社は、阿蘇山の北麓に鎮座し、肥後国の一宮に列せられ、全国に500社前後
あると言われる阿蘇神社の総本社になります。創建は、孝霊天皇9年と伝えられ、
阿蘇の開拓祖と言われる健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ十二神をま
つる由緒ある神社です。
阿蘇神社は、全国的にもめずらしい横参道であり、この参道に向かって楼門が建
っています。
楼門は、「日本三大楼門」に数えられ、高さが18mあり、神社では珍しい仏閣の様
式で建てられた二層楼山門式で、壮大さと美しさを兼ね備えたたたずまいを見せ
ています。
下の写真は、結婚式などでも詠われる「高砂や、この浦舟に帆を上げて・・・」で知
られる謡曲『高砂の松』に因んだもので“縁結びの松”になります。
男は左から2回、女は右から2回まわるとご利益があるそうです。
世阿弥作の能楽『高砂』、この中に出てくる謡曲『高砂の松』の主人公は、なん
と阿蘇神社の神主であった“友成”と言う方なのだそうです。
國造神社(熊本県)
阿蘇神社から北に約4キロ、外輪山の麓に國造神社はあります。阿蘇神社から見
て北にあるので北宮とも呼ばれます。現在の社殿は寛文13(1673)年に肥後藩
主細川綱利の命により造営されたものです。この神社は平安時代に全国の主要な
神社を書き上げた延喜式神名帳に名前が出ている、熊本で最も古い神社の一つです。
國造神社の主祭神は阿蘇を開拓した建磐龍命(たけいわたつのみこと)の第一
子、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)とその后です。
國造と言う言葉は「こくぞう」あるいは「くにのみやつこ」と読みます。
これは大和朝廷から地方の支配を認められた豪族の事です。 速瓶玉命は、建磐
龍命とともに阿蘇を開拓し農業の発展に尽くした神様と言われ、阿蘇神社と同様
に年間を通じて農業の無事を祈るお祭りが営まれています。
下の写真は、天空の路から見たカルデラと阿蘇連山です。