楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

英彦山神社から宇佐神宮 御朱印めぐり

英彦山神社・羅漢寺・宇佐神宮 御朱印めぐり

福岡県と大分県の県境、英彦山に鎮座する日本三大修験道の霊地の一つと言われる英彦山神社、そこから国道496号、212号で耶馬渓、青の洞門の近くに建つ日本三大五羅漢寺の一つである羅漢寺へ、そして212号から国道10号線に入り宇佐市にある全国40,000社にのぼる八幡さんの総本宮である宇佐神宮、これら二社一寺を巡る御朱印めぐりの旅を紹介します。

英彦山神社 (福岡県添田町)

英彦山神社は福岡県田川郡添田町の英彦山に鎮座する神社です。
英彦山は、福岡と大分の県境に位置する標高1200mの山であり、古来より神体
山として信仰を集め、修験道の霊場として栄え、日本三大修験の山(吉野、熊野、
英彦山)の一つ
に数えられています。

英彦神社鳥居

主祭神は、天照大神の御子である天忍穂耳尊、通称“彦山権現”と言われています。
天照大神の子を祀ることから「日子山」と呼ばれるようになり、それが「彦山」に
変わってきたと言われています。

英彦神社参道

 大杉(泉蔵房杉)が林立した中に奉幣殿(写真下)があり、境内には室町時代の
梵鐘や社務所などがあります。近くには修験道場もあり「英彦山宝物展」などが行
われており、敷地内には14世紀後半に造られた庭園があります。
奉幣殿は、修験道時代には大講堂であたった所です。

英彦神社弊殿

英彦 朱印

 奉幣殿の右にある山頂上宮へ続く鳥居をくぐり、200段ほどの階段を上った所に
あるのが、下宮になります。

英彦神社奥宮

ここから英彦山山頂にある上宮まで、中宮を経由して、2キロ強、1時間強ほどの時
間を要す本格的な登山道がつづいています。残念ながら今回は、登山の用意をして
きませんでしたので、下宮で断念し、下山しました。

 

 

羅漢寺 (大分県中津市)

 

羅漢寺は、大分県中津市本耶馬渓町にある曹洞宗の寺院です。
青の洞門で有名な国定公園耶馬渓の一角にあり、山号は耆闍崛山(ぎしゃくつせ
ん)、本尊は釈迦如来になります。

寺の歴史によりますと、大化元年(645)にインドから来た法道仙人が開いたとさ
れる寺ですが、詳細は不明です。
その後、後醍醐天皇の延元二年(1337)に、臨済宗祖の円龕昭覚が十六羅漢の画
像を描いて洞窟のなかに掲げたことから、羅漢寺と呼ばれるようになったといわれ
ています。

 

羅漢寺山門

 

羅漢寺境内

 

羅漢寺は、羅漢山の中腹にあり、このあたりは洞窟が多く、本堂(写真下)も山門
(写真上)も洞窟と一体となって建てられています。

 

羅漢寺本堂

 

羅漢寺と言われるように、洞窟の境内には、3770体にものぼる羅漢像や地蔵など
の石仏があります。下の写真は、五百羅漢が安置されている羅漢堂と羅漢像になります。

 

羅漢堂

 

羅漢寺五百羅漢

 

いただいた御朱印には“五百羅漢”と書かれていました。

 

朱印 大分五百羅漢

 

羅漢寺の近くには、山国川に面しそそり立つ競秀峰の裾に位置する“青の洞門”
あります。

 

耶馬渓青の洞門

 

諸国遍歴の旅の途中、ここに立ち寄った禅海和尚が、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた
難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、
托鉢によって資金を集め、石工たちを雇ってのみと槌だけで30年かけて掘り抜い
たといわれる洞門です。
一方通行ですが、現在は車が通行できる風光明媚な観光名所になっています。

 

青の洞門2

 

なお、有名な菊池寛の小説『恩讐の彼方に』は、この禅海和尚をモデルに書かれた
小説です
。作品では、江戸で殺人を犯し、道を誤った若者が、改心し仏に帰依
し“了海”という僧になり償いの道をもとめる中、青の洞門の掘削に半生を捧げ、
大変な苦労の末に見事、難所にトンネルを掘り上げ、最後は親の敵と狙う者の心を
も動かしたという人の道を説いた小説です。
この了海が目指した所も羅漢寺でしたが、羅漢寺に出かける方は、短編ですか
ら“恩讐の彼方に”を読んで見るのもよいと思います。

 

羅漢寺禅海堂

 

なお、羅漢寺の参道入り口には、禅海和尚の遺品などを納めた禅海堂があり、
禅海和尚が当時実際に使用していたノミやツチなどを見ることが出来ます。

 

 

宇佐八幡宮 (大分県宇佐市)

宇佐八幡宮は、大分県宇佐市、国東半島の付け根、御許山山麓に鎮座する神社で
す。豊前国の一宮で、全国に4万社余りあると言われる八幡神社の総本宮で、石清
水八幡宮、筥崎宮と共に日本三大八幡宮の一つに数えられています。

宇佐神宮入口

本殿は小高い丘陵の小椋山山頂に鎮座する上宮とその山麓に鎮座する下宮とがあ
り、その周りに社殿が広がっています。

宇佐鳥居と西大門

上の写真は、西大門になります。16世紀の終わりごろ改築されたと言われる建物で
すが、国宝の本殿や勅使門と共に、宇佐神宮の景観を象徴している建造物です。

宇佐神宮楼門

写真の神宮内郭の正門にあたる勅使門の奥に本殿(国宝)があります。写真では見
えませんが、左より順に一之御殿、二之御殿、三之御殿と並びます。一之御殿から
順に八幡大神、比売大神、神功皇后をお祀りしています。

宇佐神宮本殿

八幡大神は応神天皇の御神霊です。応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい
国づくりをされた方です。神亀二年(725)、現在の地に御殿を造立し、八幡大神を
お祀りしたのが、宇佐神宮の創建になります。

八幡信仰とは、応神天皇を八幡神として称え奉るとともに、仏教文化と、我が国固
有の神道を習合したものと考えられています。八幡大神は、道鏡神託事件などで皇
室を護られたことから朝廷から厚く信仰されてきました。また清和源氏をはじめ全
国の武士も武運の神「弓矢八幡」として崇敬を寄せ、一般の人々にも鎮守の神とし
て親しまれてきました。
仏教の世界でも八幡大菩薩として崇められ、元寇の時に神風を吹かせた神は八幡様
であるとされています。

宇佐神宮屋根橋

上の写真は、境内を囲むように流れる寄藻川にかかる『呉橋』と呼ばれる神橋です。鎌倉時代以前に、呉の国から来た人が建てたと言われる屋根のついた橋で、こ
の名があるそうです。

朱印宇佐神宮

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