赤間神宮・住吉神社・亀山八幡宮 御朱印めぐり
源平合戦や明治維新など幾重にも歴史を重ねた下関、それから国道2号線、関門ト
ンネルを徒歩でわたり大正ロマン漂う街、門司港レトロまで御朱印集めの旅をして
きました。
住吉神社
まず新幹線新下関駅で下車、国道34号線を南下し徒歩15分の所にある長門一宮、住
吉神社に参拝してきました。
こちらの住吉神社は、大阪、博多と共に、三大住吉神社に数えられると聞いています。
日本書紀によると、三韓征伐ために新羅に向う神功皇后に住吉大神が神託してその渡海
を守護し、無事戦わずして目的を達成して帰途しますと、再び大神の「我が荒魂を穴門
(長門)の山田邑に祀れ」との神託があり、この場所に祠を建てたのが起源となるそうです。
創建の由緒から軍事と海上交通の神として厚い崇敬を受け、長門国一宮とされたそうです。
本殿は1370年に造営されたもので、国宝で九間社流造だそうです。
本殿の前が拝殿であり、こちらは1539年に造営された建物で、重要文化財に指定さ
れています。
本殿の東側には、三韓征伐の出陣の際に植えられたと伝えられる根周り60メートル
にも達する大楠の古株があり、今も元気に枝を伸ばしていました。
亀山八幡宮
新下関駅から山陽本線で二駅、下関駅で下車しバスに乗り換え、ふぐを始め新鮮な
魚介類が小売りでも買える唐戸市場で下車、近くの食堂で“てっさとふぐちり”をい
ただき、ふぐの下関を満喫して、市場の正面に鎮座する亀山八幡宮に向いました。
亀山八幡宮は、859年の創建と伝わる古社で、地元では「関の氏神さま」「亀山さ
ま」と親しまれている神社です。
境内には、林芙美子の文学碑があり、「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ
多かりき」と自筆の文字が刻まれています。
「私は宿命的な放浪者である。私は古里を持たない…したがって旅が古里であつ
た」との書き出しで始まる「放浪記」ですが、実は林芙美子が生まれたのは、この
下関なんだそうです。
他に世界最大のふぐの銅像(写真上)や亀山砲台跡などの史跡があります。
亀山砲台跡は、幕末の攘夷戦で、長州藩が外国船に砲撃を加えた砲台があった場所
になります。
また境内には、下関護岸工事のために人柱になった「お亀さん」を祀る“お亀明神
社“があります。
江戸時代初め、海峡の埋め立て工事が難渋した時に、お亀という女性が人柱にな
り、工事が完成したそうです。そのお亀さんの霊を慰め、功績をたたえるために境
内に銀杏の木が植えられたそうです。
不思議にも、実にはお亀さんのアバタ(お亀さんは疱瘡にかかっていたということ
です)のように、無数の斑点があることから、写真にあるいちょうの木は、『お亀
いちょう』と呼ばれています。
赤間神宮
亀山八幡宮から関門橋に向かいおよそ五分、眼下に関門海峡を望む高台に鎮座す
る、ひと際まばゆい神社が赤間神宮です。
源平最後の決戦となった壇ノ浦の合戦に敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された
第81代天皇、安徳天皇を祀っています。
境内には、安徳天皇の御陵や壇ノ浦に散った平家一門の墓があります。
壇ノ浦を望む水天門は、竜宮城を想わせる鮮やかな造り、乙姫様がでてこられそう
な華やかさ、壮麗さには驚かされます。
水天門は、「今ぞ知る みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」と
詠まれ、安徳天皇を抱いて入水した二位の尼の願いを、昭和33年になって、竜宮造
りの形で実現としてものだそうです。
また境内には、赤間ヶ関の阿弥陀寺(現赤間神宮)で「ほーいち、ほーいち」と呼
ぶ平家の亡霊に、耳をとられてしまった盲目の琵琶法師“耳なし芳一”の伝説にちな
んだ“芳一堂”(写真下)があります。
母からこの怪談を聞き、トイレに行くのが怖くなった子供のころを思い出します。
いただいた御朱印には、菊紋が押されていました。
関門トンネル
赤間神宮からおよそ20分、海岸沿いを歩き、関門橋をくぐり、海峡を行きかう船
を見ながら歩いていくと、壇ノ浦古戦場の跡地“みもすそ川公園”に出ます。
写真にある関門橋は、全長1、068m、海面からの高さ61m、下関と門司とを高速
道路でつないでいます。
2号線が通る関門国道トンネルは、車道は全長3461.4mありますが、このみ
もすそ川から対岸の門司めかりとの間は、写真のような歩行者用海底トンネルで結
ばれています。トンネルの中間地点に山口県と福岡県の県境、本州と九州の境界が
あります。
和布刈神社
みもすそ川から、全長780mの歩行者用関門トンネルをおよそ10分ほど歩く
と、門司側の和布刈地区につきます。
トンネルの出口から門司港を目指し歩きだすとすぐに、海辺に和布刈神社が見えて
きます。
由緒によりますと、当社は神功皇后の三韓征伐後奉祀されたもので西暦200年に創建と
伝えられる古社ということです。新平家物語によりますと、壇ノ浦の戦いの前夜には、平家
一門が当社で壇ノ浦の戦いの戦勝を祈願し、酒宴を開いたと伝えられています。
また、有名な和布刈神事は、毎年冬至の日に和布(わかめ)繁茂の祈念祭をもって始まる
神事で、旧暦正月元旦午前三時頃神職三人が、衣冠を正し鎌と桶を持ち松明で社前の
石段を照らして、下り退潮を追って厳寒の海に入り、和布を刈るそうです。
いただいた御朱印にも、この和布刈神事を描いた印が、押されていました。
甲宗八幡宮
和布刈神社から門司港方面へおよそ15分歩くと、左側に見えてくるのが甲宗八幡
宮です。
甲宗八幡宮は、860年大宰大弐·清原真人岑成が勅命により、宇佐神宮にあった神功
皇后が着用した甲(かぶと)を御神体として、西門鎮護の要である門司港に近い筆
立山の麓に祀ったのに始まりと伝えられ、社名の“甲宗”もこれに由来しています。
門司の総氏神として崇拝されている神社で、境内には壇ノ浦の戦いで入水した平家
の総大将、平知盛の塚と伝えられる石塔があります。
御朱印にも、甲が押印されています。
こちらか20分ほど歩きますと門司港駅につくことができます。