楽しい御朱印めぐり

御朱印めぐりの旅

東京 千代田区 神社御朱印めぐり
地域:

日枝神社・靖国神社・東京大神宮・神田神社・湯島聖堂 御朱印めぐり

東京の皇居周辺に位置する千代田区には、格式の高い東京五社や東京十社に数えられる名刹がいくつかあります。
この記事では、永田町にある日枝神社をスタートし、靖国神社、東京大神宮、そして外神田にある神田神社、また孔子廟を祀る湯島聖堂をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介します。

日枝神社

日枝神社は、東京五社に数えられる神社で、千代田区永田町の山王台と呼ばれる高台にあります。

日枝神社鳥居

 主祭神として大山咋神(おほやまくひのかみ)を祀っています。
日枝神社の創建は、社の由緒によりますと、武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神
として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明十年(1478)太田道灌が江戸城を築城す
るにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請したと
伝えられています。
以後江戸の鎮守、徳川将軍家の産土神として、崇敬をうけてきたそうです。

日枝神社本殿

 「日枝」とは、近江の国日枝山(比叡山)にちなむ名で、比叡山の山裾、大津市坂本
に鎮座する日吉大社を本祠としています。伝教大師最澄が、比叡山に延暦寺を開いた時、
日枝(山王)の神を天台宗の守護神としたことから、天台宗の広がりと共に、日本各地
に勧請されたようです
。 いただいた御朱印には、“皇城の鎮”と記されています。

朱印 日枝神社

平河天満宮

 

平河天満宮は、地下鉄半蔵門駅から徒歩2分ほどの千代田区平河町にある天神様;菅原道真公を祀る神社です。

創建は文明十四年(1478)、江戸平河城城主太田道灌公の建立になるそうです。

徳川幕府に特別な格式で待遇され、紀州藩徳川家、彦根藩井伊家などの祈願所でもあったそうです。

平河天満宮全景

平河天満宮本殿

いただいた御朱印には、道真公の人形のスタンプが押されています。

平河天満宮朱印

境内には、平河稲荷が祀られていて、こちらの御朱印もいただくことができます。

平河稲荷朱印正月

 靖国神社

靖国神社は、千代田区九段坂の坂上にある神社で東京五社のひとつ数えられています。
靖国神社は、明治7年(1874)、国家のために命を捧げられた人々の御霊を慰め、その
事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です

「靖国」という社号は明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国
家を建設する」という願いが込められているそうです。

靖国神社参道

社の紹介によりますと、靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、明治維新、
戊辰の役、西南の役、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などにお
いて、国を守るために生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女
の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として祀られている
そうです。

神門は切妻造銅板葺で、建物はヒノキで作られています。きりっとしたすがすがしい姿で、
心が洗われるおもいがしてくる建物です。

靖国神社門

本殿は、明治5年(1872)に建てられたもので、大きな神明造りで建てられています。

靖国神社本殿

靖国神社朱印

東京大神宮

東京大神宮は、飯田橋の駅からほど近い千代田区富士見2丁目にあり、東京五社に位置
づけられる格式の高い神社です。
社の由緒によりますと、明治13年に、東京における伊勢神宮の遥拝殿として創建され
当初は、日比谷の地に鎮座し「日比谷大神宮」と称されていたそうです。

主祭神は、伊勢神宮内宮の御祭神;天照皇大神、伊勢神宮外宮の御祭神;豊受大神になります。
関東大震災後の昭和3年に現在地に移ってからは「飯田橋大神宮」と呼ばれ、戦後は社名を
「東京大神宮」と改め今日に至っているそうです。

東京大神宮本殿

在日本で行われている“神前結婚式”は、東京大神宮の創始で始まり、また普及活動に
より全国に広がったもの
だそうです。
なお神前結婚式の大元は、明治33年、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)と九条節子姫
(後の貞明皇后)のご成婚に始まるそうで、以外と歴史が浅く感じられます。
神前結婚式生みの親とも言うべき神社と言うことか、近年東京大神宮は“恋愛成就”のパワー
スポット
として若い女性に高い人気を誇っています。
私が参拝におとづれた日、平日にもかかわらず、女性の参拝客で大変なにぎわいでした。

東京大神宮

東京大神宮朱印

神田神社 (神田明神)

神田神社は、お茶の水の駅から徒歩で5分程度の千代田区外神田にある東京十社に位置
づけられる神社です。
野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公;銭形平次は架空の人物ではありますが
女房おしずと共に“神田明神下”の長屋に住んでいる設定になっているので、平次ファン
には“神田明神
”としてご存じの方も多いかとおもいます。

神田神社門

 神田神社の主祭神は、大己貴命(だいこく様)、少彦名命(えびす様)、平将門命
(まさかど様)の3人を祀っています。
社伝によりますと、天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫により創建されたも
のと伝えられています。
その後、天慶の乱(平将門の乱)で死んだ平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で
天変地異が頻発し、それが将門のたたりなどとして人々を恐れさせたため、延慶2年
(1309)当社に奉祀することになったそうです。

神田神社本殿

江戸幕府が開かれると、幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の
表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営され、以後
「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで「明神さま」として篤
い崇敬を受けてきたそうです。
明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称したそうです。

神田神社朱印

湯島聖堂

湯島聖堂(ゆしませいどう)は、神田神社の鳥居の前、文京区湯島一丁目にある国指定の史跡です。
始まりは、寛永七年(1630)、徳川幕府の儒臣、林羅山が上野忍岡に建てた家塾になるそうです。
そして寛永九年(
1632)、尾張家の始祖、徳川義直がこれを助け、孔子の聖像などを祀る先聖殿を寄進したそうです。

それから元禄三年(1690)、5代将軍徳川綱吉がこの廟殿を湯島に移し、大成殿と改称、以後、聖堂と呼ばれるように
なったそうです。

 

仰高門が入口になります。

湯島聖堂仰高門

 

仰高門から進みますと、突き当り右手に、孔子像が建っています。

この像は5メートル近いもので、孔子像としては世界最大になるそうです。

湯島聖堂孔子像

 

大成殿の前には、間口20メートルの杏檀門が建っています。

湯島聖堂大成殿前

 

大成殿(孔子廟)は、関東大震災焼失後、昭和十年に再建されたものになります。

湯島聖堂大成殿

 

御朱印は、仰高門右手の事務所の方でいただきます。

 

 湯島聖堂朱印

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