上賀茂神社・下鴨神社 御朱印めぐり
上賀茂神社は下鴨神社と共に、古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社で、葵祭(賀茂祭)などは両社共同で実施されています。
上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」は、母である玉依日売(たまよりひめ)が、境内を流れる御手洗川に流れてきた白羽の矢を床に置いたところ懐妊したとされます。
玉依日売とその父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は下鴨神社に祀られています。
総称して「賀茂神社」とも呼ばれる賀茂川沿い2社の御朱印めぐりの旅を紹介します。
上賀茂神社
京都市内各方面から市バスが出ていますので、バスに乗り上賀茂神社前で降りられ
ると便利です。
社の由緒によりますと、上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのお
おきみ)で、神代の昔、本殿の北北西にある神山(こうやま)に御降臨になり、天
武天皇の御代678年に、現在の地に社殿が造営されたそうです。
雷の神威により、厄除・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されているそうです。
また都が京都に遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として朝
廷から篤い崇敬を受けてきたと言われています。明治の近代社格制度でも官幣大社
の筆頭とされ、明治16年(1883)には勅祭社に定められています。
上賀茂神社の二の鳥居を入ると、目に飛び込んでくるのが細殿前に作られた円錐形
に整えられた『立砂(たてずな)』です。
立砂は、神様が最初に降臨された神山を模して作られたそうです。
現在でも鬼門や裏鬼門に砂をまき清めるのはこの「立砂」が起源だそうです。
境内を流れる清流、御手洗川のたもとには、藤原家隆の百人一首にある歌の歌碑が
立っています。
「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」寺の案内
によりますと、6月30日に行われる当社の夏越祓式(なごしはらえしき)において
は、夕闇迫り篝火の炎が川面に揺らぐ中、氏子崇敬者より持ち寄られた人形(ひと
がた)を、御手洗川に投じ半年間の罪穢を祓い清めるそうです。
その情景を詠んだのがこの歌だそうです。
細殿から御手洗川にかかる橋を渡ると、目の前に楼門が見えてきます。
楼門をくぐると拝殿、本殿になります。
下鴨神社
賀茂川に沿って3キロほど南に下ると賀茂川と高野川の合流部の三角地帯に位置す
るのが、下鴨神社です。
正式名称を「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」といいますが、“下鴨神社”と
か“下鴨さん”と親しみを込めて呼ばれています。
御祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は古代の京都山城を開かれた神
さまです。
玉依媛命(たまよりひめのみこと)は賀茂建角身命の子供になります。
ちなみに玉依媛命のお子さん「賀茂別雷大神」は、上賀茂神社の御祭神です。
平安京が造営されるにあたって、下鴨神社に成功の祈願が行われ、以来国民の平安
を祈願する神社と定められたそうです。
境内の南側一帯は、清らかな小川が流れる糺(ただす)の森が広がっています。
葵祭
葵祭は、平安京建都の百年以上も前から上賀茂、下鴨、両神社の祭礼として行われ
『賀茂祭』と呼ばれていたそうです。
賀茂祭は祭儀に関わる全ての人たち、また社殿の御簾・牛車(写真上)に至るまで二葉
葵(写真下)を桂の小枝に挿し飾ることから、江戸時代ごろから「葵祭」と呼ばれるよ
うになったとのことです。
葵祭は京都三大祭のひとつで、わが国の祭のうち最も優雅で古趣に富んだ祭として
知られています。
毎年5月15日、平安貴族そのままの雅な王朝行列が、京都御所を出発、総勢500名
以上の風雅な行列が下鴨神社を経て、上賀茂神社へ向かいます。