第六天榊神社・鳥越神社・下谷神社・入谷鬼子母神 めぐり
江戸時代、蔵前には、全国から集まった江戸庶民の食料や武士の給料としての米が保管された米蔵が多数設置され、札差と言われる富豪商人がこの米の流通を差配していました。
浅草、さらには北に続く吉原遊郭などの発展は、この蔵前の興隆による面も大きかったのではと推察されます。
この記事では、JR浅草橋駅から北東へ進み、“第六天榊神社”そして蔵前通り沿いにある“鳥越神社”さらには東上野にある”下谷神社”そして”入谷鬼子母神”を巡る御朱印めぐりを紹介します。
第六天榊神社
第六天榊神社は、JR浅草橋駅から北東方向に徒歩5分程度、台東区蔵前一丁目に
ある神社です。
社伝によりますと第六天榊神社の創建は、景行天皇の御代、日本武尊が皇祖二柱の
神を祀ったことに始まるといわれています。この日本武尊がお祀りした神様が、
『第六天榊の大神』です。
この神様は、天照大神の祖父母にあたり、健康長寿と家内安全をつかさどっているということです。
こちらでいただいた御朱印には、「鶴は千年、亀は万年」と言われるように縁起も
のの“鶴と亀”が緑色に押印されています。
健康長寿を願う『第六天榊の大神』に由来しているものと思われます。
ちなみに、鶴と亀はどの程度長生きするのか調べてみましたが、鶴で30年、亀で
50年程度のようです。でも、烏が10年程度の寿命と言われますから、やはり、長生
きの動物といえそうです。
鳥越神社
第六天榊神社から蔵前通りに進み蔵前橋通りを西へ徒歩5分、鳥越2丁目にあるのが
鳥越神社です。社伝によりますと、鳥越神社の創建は、大和武尊が東国平定の折、
白鳥と呼ばれていた当地に滞在していたことを偲び、651年、村民が白鳥明神を創
祀したことが起源だそうです。
鳥越神社は有名な“鳥越まつり”で知られています。
鳥越まつりは、鳥越神社の例大祭として毎年6月の中ごろに行われます。
この祭の特長は“鳥越の夜祭り”と称される提灯行列と“千貫神輿”と呼ばれる 都内最
大の巨大神輿です。
朝、神社を出た千貫神輿は各町内の担ぎ手に次々と橋渡しされ、夜になって神 社
に戻ってきます。このときの宮入が鳥越の夜祭と言われるもので、幻想的な光景は
東京の下町の初夏の風物詩になっています。
下谷神社
下谷神社は、鳥越神社の北西およそ1.5キロ、上野駅から徒歩5分、地下鉄銀座線
稲荷町駅から徒歩2分程度の台東区東上野にある神社です。
古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれていたそうで、地下鉄の駅名“稲荷町”
にその名を残しているそうです。祭神は“大年神”と“日本武尊”です。
大年神は素盞雄尊の子で「五穀を主宰し厚く産業を守護し給う神」、一般に『お稲
荷様』と親しまれている神様です。
社の由緒によりますと創建は、天平2年(730)と古く、峡田の稲置などが“大稲
神”と“日本武尊”の2神を上野忍ヶ岡の地に舞ったのが始まりだそうです。
拝殿には、横山大観が描いた“龍”の天井画があります。渦巻く風雲の中に踊る龍の
姿が生き生きと描かれています。
なおこの天井画は、下谷神社のオリジナル御朱印帳に実物に近い形で描かれています。
境内には、寛政十年(1798)、当社の境内で江戸で初めて寄席が開かれたそうで、『寄席発祥の地』の石碑が建てられています。
毎年5月に行われる「下谷神社大祭」は、千年以上の歴史を持ち、近隣町内を渡御
する本社神輿は台輪幅4尺1寸の千貫神輿といわれ、大きな威容を誇るものだそうです。
入谷鬼子母神
鶯谷駅から徒歩5分、下谷神社から昭和通りを15分ほど歩いた入谷の交差点近くに
あるのが入谷鬼子母神堂です。
江戸時代の天明期を代表する文人であり狂歌師、太田南畝(別号;蜀山人)の狂歌
の中に「恐れ入谷の鬼子母神、どうで有馬の水天宮、・・」としゃれ言葉がある様
に、江戸時代からひろく崇拝されていた鬼子母神と言えると思います。
「あたり前田のクラッカー、恐れ入谷の鬼子母神、その手は桑名の焼き蛤」などの
しゃれ言葉も、寄席やテレビで耳にした良き昭和の時代の想い出です。
いただいた御朱印にも、ちゃんと『恐れ入谷の鬼子母神』としゃれ言葉が、押されていました。