江島神社・江の島大師・龍口寺 御朱印めぐり
湘南のシンボルにもなっている江の島は、神奈川県藤沢市の湘南海岸から相模湾に
突き出た周囲およそ4キロメートルの島で、弁天橋を渡れば島にわたることが出来ます。
現在湘南の一大観光名所になっている江の島には、江島神社があり弁財天信仰が
盛んになった江戸時代にも、多くの参拝者でにぎわったそうです。
この記事では、江島神社や江の島大師、そして対岸にある龍口寺の御朱印めぐりを
紹介します。
江島神社
社伝によりますと江島神社の創建は、欽明天皇十三年(552)、欽明天皇の勅命に
より、江の島の南の洞窟(岩屋)に神を祀ったのに始まるそうです。
江島神社の祭神は、多紀理比賣命、市寸島比賣命、田寸津比賣命でそれぞれ、奥津
宮、中津宮、辺津宮に祀られています。この3女神を合わせて江島大神と称するそ
うです。
江島大神は、仏教との習合により江島弁財天として信仰されるようになり、海の
神、水の神に合わせて幸福・財宝を招き芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで
崇敬されているということです。
弁天橋を渡るとすぐに江戸時代に再建されたという“青銅の鳥居”が見えてきます。
鳥居をくぐるとサザエの壺焼きや土産物屋が立ち並ぶにぎやかな参道になります。
緩やかな参道を行きますと正面に朱の鳥居、その先に“瑞心門”と呼ばれる龍宮門が見えてきます。
ここから江島神社(辺津宮)までは階段になりますが、エスカーという乗り物に乗
って上がっていくこともできます。
階段を登ると江島神社の本社となる辺津宮になります。
辺津宮は建永元年(1206)源実朝により創建されたということですが、現在の建物
は江戸時代に再建されたものになります。
御朱印はここでいただくことになりますが、二ついただくことが出来ます。
いただいた一つは、『江島神社』の御朱印です。
そしてもう一つは、『江の島弁財天』の御朱印です。
辺津宮の隣には、八臂弁財天と裸弁財天と呼ばれる妙音弁財天を祀る八角のお堂、
奉安殿(写真下)があります。
江島弁財天は、安芸の宮島、近江の竹生島と並び二本三大弁財天の一つに数えられ
ています。
下の写真は、辺津宮近くからみた七里ガ浜方面になります。
辺津宮から岩屋道通りを先に進むとすぐに江島神社中津宮に到着します。
中津宮は、仁寿三年(853)に慈覚大師により創建され、江戸時代に再建がなされたそうです。
朱に塗られた落ち着きある社殿が印象的な宮でした。
さらに岩屋道通りを西へ300メートルほど進むと江島神社奥津宮になります。
ここから先は、稚児ヶ淵そしてその先が江の島岩屋と続いています。
最福寺別院 江の島大師
江の島大師は、中津宮から奥津宮に向かう岩屋道通り沿いにある高野山真言宗の寺院です。
江の島には、江戸時代まで神仏習合の金亀山与願寺がありましたが、明治の神仏分
離令により寺は廃されたそうです。
江の島大師は、平成五年(1993)に鹿児島市にある最福寺が関東別院として創建した寺になります。
本尊は6mもある不動明王で、「赤不動」と呼ばれています。本尊赤不動の前に立
つと心の穢れが洗われて行くように感じます。
いただいた御朱印には、“大聖赤不動”と書かれていました。
龍口寺
龍口寺は、江ノ電の江ノ島駅にほど近い藤沢市片瀬にある日蓮宗の霊跡寺院です。
寺の縁起によりますと日蓮聖人の弟子の日法が延元二年(1337)に、「龍ノ口法難
の霊跡」に堂を建て自作の日蓮聖人像を安置したのが始まりだそうです。
山号は寂光山、本尊は日蓮聖人像になります。
この地はかつて鎌倉幕府の刑場跡で、立正安国論を唱えた日蓮上人は、処刑されそ
うになり一時、境内にある岩窟に捕えられていたそうです。
この事件を日蓮宗では「龍ノ口法難」と呼ぶそうです。下の写真は、御霊窟になります。
本堂は、江戸時代に建てられたもので、法難時に日蓮が足元に敷いていた敷皮が
安置されているため敷皮堂とも呼ばれているそうです。
境内には、明治時代に建てられた五重塔もあります。
いただいた御朱印には「妙法」と書かれていました。
『法華経』の正式名称が『妙法蓮華経』であることから、一般的には、“妙法”とは
“法華経”のこと、「法華経の教えに帰依します」をいうことかとおもいます。