西大寺・吉備津神社・吉備津彦神社・最上稲荷 めぐり
古代から豊かな文化を花開かせてきた吉備の国、桃太郎伝説の舞台としても知られています。
この岡山、吉備の国の主だった寺社を巡る御朱印の旅を紹介します。
西大寺 (岡山市)
西大寺は、岡山市東区にある高野山真言宗の別格本山となる寺院で、山号は金陵山、
本尊は千手観音になります。中国観音霊場第一番札所また“裸祭り”で有名な寺院です。
寺の縁起によりますと、天平勝宝3年(751)、周防の国に住まいされていた藤原皆足姫が
千手観音像を安置したことに始まり、宝亀8年(777)に大和の長谷寺で修行をされた安隆
上人が堂宇を建立したということです。
裸祭りは、正式名称を“会陽”(えよう)といい、毎年2月の第3土曜日に行われる祭りで
日本三大奇祭の一つとされています。住職が投げ入れた“宝木”を、ふんどし姿の群衆が奪い合い、
宝木の取り主が福男となるそうで、ふんどし姿であればだれでも参加できるそうです。
現在の本堂(写真上)は、文久3年(1863)、三重塔(写真下)は延宝6年(1675)に
再建されたものだそうです。
いただいた御朱印には、本尊の観音様をお祀りしているお堂“大悲殿”と墨書きされていました。
岡山神社
岡山神社は、岡山城、後楽園にほど近い岡山市北区にある神社です。
社の紹介によりますと、創建は清和天皇貞観年間(860)、主祭神に「倭迹々日百襲姫命」
(吉備津彦命の姉)を祀っています。
創建当初は、岡山城の本丸のあたりにあったそうで、宇喜多直家が岡山城を築くにあたって、
現在の地に遷り、岡山城の守護神、岡山の総鎮守としての役割を担ってきたそうです。
創建当時の社殿などは戦災などで焼失し、現在の建物は戦後再建されたものになるそうです。
吉備津神社
吉備津神社は、岡山市北区、備前国と備中国の境の吉備の中山と言われる山の北面に
鎮座する神社です。 神社の前には、神池が広がっています。
三備(備前、備中、備後)一宮に位置づけられた神社で、祭神に大吉備津彦命を祀っています。
大吉備津彦命は、7代天皇である孝霊天皇の皇子で、崇神天皇の御代に山陽道に派遣され、
吉備を平定し、その子孫が国造になり、吉備の国を治めたそうです。
吉備国開拓の大祖神として尊崇されている神様になりますが、神社の創建年は不詳だそうです。
本殿並びに拝殿は、室町時代の足利義満の時に建てられたもので、比翼入母屋造の本殿の
手前に切妻造、平入りの拝殿が接続し、これらが1体として国宝に指定されています。
入母屋造りの屋根を前後に2つ並べた屋根形式で、「吉備津造」といわれる独特の存在感
ある建物です。
北隋神門は、室町時代に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
本殿から南隋神門をぬけ本宮社まで続く長い廻廊は、戦国時代の天正年間に建てられた
もので、こちらも吉備津神社の独特の景観を作っています。
吉備津彦神社
吉備津彦神社は、岡山市北区にある神社で、備前国一宮に位置づけられる神社です。
備前国と備中国の境の吉備の中山と言われる山の東面に鎮座する神社で、2キロ程度
しか離れていない中山の北面には吉備津神社があります。
当社と吉備津神社とも、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀っています。
社の由緒によりますと、創建年は不詳とのことですが、大吉備津彦命が永住された
中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当社のはじまりとなるそうです。
現在の本殿は、元禄10年(1697)に再建されたもので、流麗な三間社流作りの神殿は
飛鳥時代の社殿建築の粋がつくされているそうです。下の写真は、拝殿になります。
随心門の近くに立つ大燈籠は、天下泰平を祈願して安政年間に建てられたもので、
高さが11.5メートルもある大きなもので、日本一大きな石燈籠になるそうです。
備前国総社宮
備前国総社宮は、岡山市中区にある神社です。
総社は、国司が国中の神社を巡拝する慣わしの不便をはぶくため、平安末期に国府の近くに
造られるようになったもので、当社は備前国の総社になります。
大己貴命(おおむなちのみこと)を主祭神に、備前国内128社の祭神を祀っているとのことです。
平成4年に放火により社殿を焼失、現在の本殿は平成22年に再建されたものになるそうです。
前庭の三島式庭園は、古代様式を今に伝え、長い回廊が美しい影を水面に映しています。
最上稲荷
最上稲荷は、岡山市北区にある日蓮宗の寺院です。
正式名称は「最上稲荷山妙教寺」、本尊は「最上位経王大菩薩」で、伏見稲荷、豊川稲荷
と並ぶ日本三大稲荷の一つに数えられています。
“最上位経”とは法華経になります。菩薩の像容は、白狐にまたがった天女の姿をしており、
稲荷神と同じ特徴を持っているそうです。
寺の縁起によりますと、天平勝宝4年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、
龍王山中腹の八畳岩で祈願が行われたそうです。
その後延暦4年(785)、桓武天皇病気の際にも、大師の祈願により快癒、これを喜ばれた天皇
の命により、現在の地に「龍王山神宮寺」が建立されたそうです。
以来、「龍王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇
を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」の像のみが八畳岩の下に移され難を免れたそうです。
この像をもとに慶長6年(1601)、日円聖人により霊跡が復興され、寺名も「稲荷山妙教寺」と
改めて、今日の興隆の礎が築かれたということです。
なお、近くにある高松城水攻めの古戦場は、現在公園になっています。
最上稲荷は明治の神仏分離令の際、特別に「神仏習合」の祭祀形態が許された、仏教の
流れを汲む貴重な稲荷です。
そのため、お寺でありながら鳥居をそなえ、大きなしめ縄付きの本殿があるなど神仏習合
時代の形態を数多く残しています。
現在の本殿である霊光殿(写真下)は昭和54年(1979)に再建されたものです。
下の写真は旧本殿、霊応殿で、寛保元年(1741)に再建された建物です。
下の写真は、明治時代に再建された根本大堂で、日蓮聖人を祀っています。
いただいた御朱印には、“妙法”と墨書きされています。『法華経』の正式名称が
『妙法蓮華経』であることから、一般的には、“妙法”とは“法華経”のこと、
「法華経の教えに帰依します」をいうことかとおもいます。
誕生寺
誕生寺は、岡山県久米郡久米南町にある浄土宗の寺院です。
浄土宗の開祖である法然上人の生誕地に建てられ、山号は栃社山(とちこそさん)、
本尊は円光大師(法然上人像)になります。
寺の縁起によりますと、坂東武者の熊谷直実が出家し、法然の弟子となり“法力房蓮生”と
名乗り、建久4年(1193)当地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたのが誕生寺の起源
になるそうです。
現在の御影堂(写真下)は元禄8年(1695)に建造されたものになります。
法然上人が「勢至丸」という名で幼少時代を過ごされた地、“旅立ちの法然様”の像が、
御影堂の脇に立っています。
いただいた御朱印には、“円光大師”(法然上人)と書かれていました。