瑠璃光寺・洞春寺・山口大神宮・龍蔵寺 めぐり
山口は、南北朝時代の中頃、1360年に中国地方の豪族で守護職であった大内弘世が居館を山口に移し、京都を模した街造りをして以来200年ほど続いた大内氏の城下町で「西の京」と呼ばれるほど栄えた所です。
この記事では、“西の京”山口市内の寺社をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。
龍福寺
龍福寺は、上山口の駅から北へ徒歩10分歩の所にある曹洞宗の寺院です。山号は瑞雲山、本尊は釈迦如来になります。
龍福寺は、建永元年(1206)、大内満盛が同じ山口の白石の地に建てた臨済宗の瑞雲寺が始まりだそうです。それから後の享徳三年(1454)大内教弘が開基となり、雪心を開山として中興され、曹洞宗の寺院となったそうです。
そして天文二十年(1551)、家臣の謀反によって大内義隆がなくなり大内氏は滅亡、寺も焼失しましたが、弘治三年(1557)この地を治めることになった毛利隆元の開基によって、義隆の菩提をともらうために大内の館跡(現在の地)に龍福寺が復興されたということです。
本堂は明治時代に火災にあい焼失、現在の本堂(釈迦堂)は元大内氏の氏寺であった興隆寺の本堂を移築したものになるそうです。この建物は、室町時代に建てられたもので重要文化財に指定されています。
いただいた御朱印には、“大内義隆卿菩提寺”、“佛心”と墨書きされていました。
瑠璃光寺
瑠璃光寺は、龍福寺から北へ徒歩15分程度の所にある曹洞宗の寺院です。
山号は保寧山、本尊は薬師如来になります。
奈良の法隆寺、京都の醍醐寺と共に日本三名塔の一つに数えられる国宝の五重塔があり
「西の京・山口」を代表する観光名所となっている寺院です。
瑠璃光寺は、14世紀の末に大内義弘が現在の場所に建てた香積寺という寺が前身になるそうです。義弘は応永の乱(1399)を起こし足利義満に敗れ戦死しましたが、弟の大内盛見が義弘の菩提をともらうために五重塔の建設を始め、塔は嘉吉二年(1442)頃に完成したそうです。
その後、毛利氏の時代になりましたが、その毛利氏は関ヶ原の戦いで敗れ、萩に移封されます。その時、香積寺も一緒に萩に移転ということになりましたが、五重塔は解体を免れ、香積寺の跡地には、現在の山口市仁保高野にあった瑠璃光寺が移ってきて五重塔も管理することとなり現在に至っているそうです。
いただいた御朱印には、“無心”と墨書きされています。「わだかまりのない清い心」を
説いているのかと思います。
瑠璃光寺は、香山公園の一角にありますが、瑠璃光寺の隣には香山墓所と呼ばれる毛利家の墓があります。香山墓所に至る石段の前にある石畳は「うぐいす張の石畳」と呼ばれ、偶然の産物ということですが石畳を強く踏みつけたりすると、前の石段に反響し「キュ」という音が返ってきます。
洞春寺
洞春寺は、香山墓所の西隣、瑠璃光寺から徒歩3分歩の所にある臨済宗の寺院です。
山号は正宗山、本尊は聖観世音菩薩で、中国三十三観音霊場の16番札所になっています。
洞春寺の前身は、応永十一年(1404)大内盛見が建立した国清寺になるそうです。
毛利氏の時代になると毛利隆元の菩提寺となり、その後毛利元就の菩提寺にもなり、
“洞春寺”と改められたそうです。
山門(写真上)は国清寺創建当時のものになりますが、本堂(写真下)は江戸時代に
再建されたものになるそうです。
観音堂は、室町時代に建てられたもので、大通院という寺から大正時代に移築された
ものになりますが、山門と共に重要文化財に指定されています。
いただいた御朱印には、観音様がいらっしゃるお堂“大悲殿”と書かれていました。
山口大神宮
山口大神宮は、洞春寺から国道9号線沿いに西へ進み、山口県庁前を通り15分ほど歩くと
到着します。
永正十七年(1520)、大内義興が伊勢神宮の神霊を勧請し創建した神社になります。
伊勢神宮と同じように、内宮・外宮があり、それぞれ主祭神に天照大御神、豊受大御神絵
を祀っていて、伊勢参りの盛んだった江戸時代には、「西のお伊勢さま」と呼ばれ多くの
参拝者でにぎわったそうです。
境内の階段を上ると右に御祈祷などがされる神楽殿(写真上)、また左手には摂社となる
多賀神社(写真下)があります。
神楽殿の先を右手に折れ、さらに石段を上った所に、伊勢神宮と同じ神明造りで建てられ
た外宮(写真下左手)と内宮(写真向かって右手)があります。
常栄寺
常栄寺は、瑠璃光寺から国道9号線を東へ行った山口市宮野下平野にある臨済宗の寺院で、
山口の地に長く滞在した水墨画の画僧『雪舟』が築庭したと伝えられる名庭で有名な所です。
山号は香山、本尊は千手観音菩薩になります。
常栄寺の雪舟庭は、大内正弘の嘱望で造られた庭で、国の史跡名勝に指定されています。
山を借景にし、心字池や枯滝、また多くの立石を配し、現在でも雪舟の水墨画の世界を
思わせる閑静でありながら存在感あるたたずまいを見せています。
いただいた御朱印には、“香山香石”と墨書きされていました。山号の香山、そして
雪舟庭の石を表しているのかと思います。
龍蔵寺
龍蔵寺は、湯田温泉から秋吉台方面に向かう途中、山口市吉敷にある真言宗の寺院です。
山号は瀧塔山、本尊は馬頭観世音菩薩と阿弥陀如来で中国三十三観音霊場の17番札所に
なっています。
寺の縁起によりますと、創建は今から1300年も前の文武二年(698)、役行者の役小角が
奥の院の岩窟に“紀州熊野権現”を勧請したのが始まりになるそうです。
その後、天平十三年(741)行基がこの霊窟に来て草庵を結び、自ら千手観音を刻み
『龍蔵寺』と称したということです。
本尊の馬頭観世音菩薩が安置されている観音堂の前にそびえる“大銀杏”(写真下左手)は
樹齢1000年を越え、高さは日本一の50mという巨木で、天念記念物に指定されています。
観音堂の右手奥には「鼓の滝」と呼ばれる滝があります。
この滝は大きく3段に分かれていて、中段がくびれていて形が鼓のように見えること、
また落ちる水音が鼓打つ音に似ていることから名づけられたそうです。
参拝の訪れたのは1月半ば、本堂内では見事な“冬牡丹”が一足先に春を告げていました。
いただいた御朱印には“大悲殿”と書かれていました。