箱崎宮・住吉神社・櫛田神社・愛宕神社 めぐり
福岡県北西部は、奈良時代以前から“筑前国”と言われ、福岡県南部の筑後国と合わせ“筑紫
(つくし)国”を形成していました。
朝鮮半島や中国との交易の起点となった地域であり、鎌倉時代には、元寇の役などの舞台と
もなっています。江戸時代は、筑前福岡藩となり、黒田家が幕末まで治めていました。
この筑前国、とりわけ博多の周辺には古くから篤い信仰を受ける神社が多く、今回はこの
博多周辺の神社の御朱印めぐりを紹介します。
住吉神社
住吉神社は、博多駅から徒歩数分の博多区住吉に鎮座する筑前国の一宮に列せられる神社で、
大阪の住吉大社、下関の住吉神社と共に日本三大住吉の一つに数えられています。
祭神は底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神であり、全国に2,000社あると言われる
住吉神社の起源となる神社です。
社伝によりますと、住吉三神は、伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)が筑紫の阿波伎原で
禊祓(みそぎはらえ)をされたときに生まれたことから開運除災、また“筒男”の「つつ」
には星の意味があると云われ、航海・海上の守護神としても厚い崇敬があるそうです。
現在の本殿(写真上)は、1623年に黒田長政が再建したもので、国の重要文化財に指定されています。
櫛田神社
住吉神社からキャナルシティを過ぎ、5分ほど歩けば「お櫛田さん」の愛称で親しまれて
いる博多の総鎮守、櫛田神社に到着です。
櫛田神社の祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)です。
社伝では、757年に、三重県松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、
松坂の櫛田神社の祭神;大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、
天照大神も一緒に勧請されたと伝えられています。
櫛田神社は、有名な7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなっています。
本殿左側には、通常祭り期間中にしか見ることができないはずの“飾り山”が九州朝日放送から
奉納されていて、常時観ることが出来ます。
愛宕神社
櫛田神社から中洲川端駅に向かい、ここから室見駅まで地下鉄に乗り、徒歩(10分)で
愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社を目指します。
社伝によりますと愛宕神社の創建は、景行天皇の御代西暦72年と言われ、福岡最古の歴史を
持ち、京都・東京に並ぶ日本三大愛宕のひとつと言われています。
祭神は、イザナギノミコト、イザナミノミコトをはじめ四神が祀られており、御利益が広く、
正月3が日には70万人もの参拝者が訪れるそうです。
また愛宕神社は、眺望が良いことで知られ、ヤフードームや福岡タワーなどが一堂に
見渡せる景勝地としても賑わっています。
十日恵比寿神社
地下鉄千代県庁口駅から北東方向へ徒歩5分の所にあるのが十日恵比寿神社です。
社殿によりますと、天正19年(1591)、香椎宮社家の武内平十郎という方が香椎宮、
筥崎宮への参詣の帰途、浜辺で夫婦恵比須像を拾い、1592年1月10日に、千代の松原
に社を建てたのが始まりだそうです。
当然、祭神は「恵比須様」こと事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)と「大黒様」
こと大国主大神を祭っています。
日頃は閑散と静かな神社だが、1月8日から11日までの正月大祭「十日えびす」は
大賑わいとなります。
商売繁盛、家運隆盛を願う参拝者が押し寄せ、毎年約百万人を数える人出だそうです。
筥崎宮
室見駅から地下鉄に乗り筥崎宮前駅でおりますと、徒歩3分ほどで筥崎宮に到着します。
筥崎宮は、筥崎八幡宮とも称し、宇佐・石清水と並ぶ日本三大八幡宮のひとつに数えられます。
祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命になります。
社伝によりますと、創建は923年、筑前大分の穂波八幡宮から遷座したのが創建と
言われています。
1274年、蒙古襲来により炎上した社殿の再興にあたり、亀山上皇が「敵国降伏」を
祈願し『敵国降伏』の扁額が掲げられたと言われています。
楼門は、1594年、筑前領主小早川隆景が建立したもので、『敵国降伏』の扁額が
ここにかかっています。
楼門の右前にある朱の玉垣で囲まれた松は「筥松」と呼ばれる御神木で、応神天皇が
生まれた時の胞衣を箱に入れこの地に納めたしるしとして植えられた松で、「筥崎」
の名の由来となったものだそうです。