箱根神社・伊豆山神社・三嶋大社・最乗寺・早雲寺 めぐり
箱根は、富士箱根伊豆国立公園の中央に位置し、毎年1900万人もの観光客が訪れる所です。天下の剣と言われ近寄りがたく思われますが、温泉が開かれたのは意外と早く奈良時代、箱根神社の創建も同じ奈良時代であり、以来山岳信仰の一大霊場となってきました。
この箱根周辺には、流罪の地、伊豆から平家打倒の旗をあげた源頼朝と関係の深い神社が多く、とりわけ箱根神社、伊豆山神社、三嶋大社の三社は、源頼朝三社詣とも呼ばれています。この箱根周辺の御朱印めぐり、車の旅を紹介します。
最乗寺 (神奈川県)
大井松田インターチェンジを出て、ほぼ直進して20分ほど行った箱根外輪山の中腹に
最乗寺はあります。最乗寺は、応永元年(1394年)に了庵禅師によって開かれた寺院で
山号は“大雄山”、本尊は、“釈迦牟尼仏”になります。福井の永平寺、鶴見の総持寺に
次ぐ格式のある曹洞宗のお寺です。下の写真は、参道と本堂になります。
創建に貢献した修験道の尊者である道了という僧が、寺の完成と同時に天狗になり
「山中にあって大雄山を護り多くの人々を利済する」という願いの元に、身を山中
に隠したと伝えられることから、『道了尊』とも呼ばれ深い信仰を集めてきました。
奥の院の手前にある『道了尊』を祀る御真殿の横(写真上)には、天狗の履物である
“高下駄”が奉納されています。下駄は、左右一対がそろって役割を果たすことから、
夫婦和合の信仰が生まれ、“和合下駄”の奉納者が後を絶たないそうです。
今日でも、最乗寺は「道了さん」「道了尊」と親しみを込めて呼ばれています。
いただいた御朱印にも、“道了尊”と墨書きされています。
また、御真殿の手前には、明神ヶ岳から湧き出る湧水を引いた“清滝”と称される
洗心之滝があり、その上には“不動堂”(写真下)があります。
こちらのお堂の本尊は、“清滝不動尊”であり、こちらでも御朱印がいただけます。
最乗寺へ来た道を戻り、伊豆箱根鉄道の大雄山駅を過ぎた所にある交差点を左折し、
足柄峠越えで一路、御殿場を目指します。足柄峠を越えると富士見ライン、ここからは、
子富士を抱える富士を見ることが出来る隠れスポットです。
三嶋大社 (静岡県)
御殿場から国道246号線、県道21号線を通り、三島に向かいます。
三嶋大社は、三島駅から徒歩10分程度,三島市大宮町にある伊豆国一宮に列せられ神社です。
全国にある三嶋神社の総本社でもあるのがここ三島の三嶋大社です。
三嶋大社は、創建の時期は不明ですが、奈良や平安時代の古書にも記録が残っている神社です。
主祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)、この二神を総じて、
「三嶋大明神」と称されています。大山祇命は山林農産の守護神、また事代主神は「恵比寿様」と言われ、
福徳の神として商・工・漁業者の崇敬をうけています。
中世には、源頼朝をはじめとする武士からの信仰が篤かったそうです。伊豆に流された源頼朝は、
源氏再興を三島大明神に祈願したと言われています。
江戸時代には、三島の宿の発展に伴い庶民へと信仰が広がっていったそうです。
旧東海道に面した大鳥居から境内に入ります。
大鳥居をくぐると、参道の両側には「神池」(写真下)にかかる形で枝垂れ桜が植わっています。
三嶋大社は、桜の名所として、毎年3月の終わりには、多くの花見客でにぎわいます。
総門の先には、慶応三年(1867)に建てられた「神門」(写真下)が控えています。
総門をくぐると目の前には、舞を踊る「舞殿」(写真下)、今は結婚式などがこちらで行われるようです。
舞殿の右手には、樹齢1200年を超えると言われる金木犀の大樹(写真下)があり国の天然記念物に指定されています。
舞殿の先には、拝殿、幣殿、本殿と社殿が続きます。下の写真は、慶応二年(1866)に建てられた拝殿になります。
下の写真は、三島市内からみた富士山です。
来宮神社 (静岡県)
JR伊東線、来宮駅から徒歩3分の所にある神社です。古くから来宮大明神と称し、
来宮の地に鎮座し、来福・縁起の神として信仰されている神社です。
平安初期、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、各地に分霊を祀ったとも伝えられ、現在
では全国44社の総社として信仰を集めているそうです。
社伝によりますと、祭神五十猛命は、熱海に鎮座される際、「地元民と入り来る
旅人を守護しよう」と神託を告げられたことから、参拝者の中に伊豆に来る旅行者
が多いのも当社の特徴だそうです。
国の天然記念物に指定されている御神木『大楠』は、樹齢2000年を越えるものです。
環境庁の調査で、幹周り24m、全国2位の巨木の認定を受けており、その迫力と神聖
さには圧倒されると同時に心が洗われます。
なお、「大楠を一周りすると寿命が一年伸びる」と言う言い伝えがあり、私が参拝し
ていた時も繰り返しまわっている方がおられました。
伊豆山神社 (静岡県)
伊豆山神社は、熱海市伊豆山、JR熱海駅の北東約1.5kmにある伊豆の地名発祥の地
でもある神社です。
全国各地に点在する伊豆山神社や伊豆神社などの起源となった事実上の総本社格の神社
になります。創立の年代は、確な記録は残っていないようですが、社伝によりますと
五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)だそうです。
伊豆山神社は、温泉の守護神としても知られています。この神は、“赤白二龍”と呼ばれ、
赤龍は火、白龍は水の力を掌り、二龍の力を合わせて温泉を生み出すそうです。
こちらでいただける御朱印帳には、黒字に“赤白二龍”が鮮やかに描かれています。
“御朱印帳コレクション”をクリックしてみてください。
熱海市の観光案内によりますと、伊豆山神社は、源頼朝が源氏の再興を祈願、また頼朝
と北条政子が結ばれた場所であるため、縁結びの神社として有名です。境内には、二人
が寄り添い愛を語らったという言い伝えが残る“頼朝・政子の腰かけ石”があります。
源頼朝は伊豆山権現の住僧覚渕に学び、やがて北条政子と劇的な出会いを果たします。
政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜、宴席を抜け出し約七里の道のり
を超え、かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へやってきたと言われています。
頼朝は政子を、伊豆山神社の入り口、逢初橋(国道135号にある朱塗りの橋)の上で出
迎えたと言います。 この場面は、しばしばテレビドラマの場面に登場するため、政子の
一途さを記憶に残している方もおられるかと思います。頼朝が鎌倉幕府を開いた後にも、
伊豆山神社は頼朝と政子に崇拝され、箱根神社と共に頼朝二所詣と呼ばれたそうです。
熱海から熱海峠越え、十国峠を越えて元箱根に鎮座する箱根神社に向かいます。
下の写真は、十国峠からの富士山です。
箱根神社 (神奈川県)
箱根神社は、芦ノ湖の東岸、駒ケ岳のふもとにあります。下の写真は、箱根峠からの
芦ノ湖、駒ケ岳を写していますが、湖岸に箱根神社の朱色の鳥居を見ることができます。
社伝によりますと、箱根神社は、古来から関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた神社です。
人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が、箱根山の駒ケ岳主峰の神山を神体
山として祀られて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となってきました。
奈良時代の天平宝字元年(757)、万巻上人は、箱根大神の御神託により現在の地に里宮を建
て、箱根三所権現と称え奉ったのが箱根神社の創始のようです。
平安時代初期に箱根路が開通しますと、往来の旅人は当社に道中安全を祈願したそうです。
“吾妻鏡”には、石橋山の戦いに敗れた源頼朝を箱根神社の権現別当が助けたとの
記事があり、頼朝はもちろんのこと、以降、執権北条氏や徳川家康等関東の武家
の崇敬を受けるようになったそうです。
箱根神社には、龍神様を祀る九頭龍神社もあります。
社の言い伝えによりますと、人民に危害を与えていた毒龍に対し、万巻上人が湖中に
石壇を築いて調伏の祈祷を行ったところ、毒龍 は形を改め、帰依し龍神となったそうです。
今では、多くの人々に開運隆盛、金運守護、商売繁盛、縁結びの龍神様として崇められて
いるそうです。
箱根神社の本殿の隣に鎮座する九頭龍神社(新宮)では、箱根山を源にする龍神水がわき
出ており、これで口をすすげば一切の不浄を清めることが出来るといわれています。
早雲寺 (神奈川県)
箱根神社から、国道一号線で早雲寺に向かいます。
早雲寺は、小田原城主・北条氏の菩提寺で箱根湯本にあります。箱根湯本の町は、
今は有名な温泉町ですが、もともとは早雲寺の門前町として始まったと言われています。
早雲寺は、北条氏2代氏綱が初代早雲の遺言によって1521年に建立した臨済宗大徳寺派の
寺院で、本尊は釈迦如来になります。1590年(天正18)の豊臣秀吉の小田原攻めで焼き払
われ、1627年(寛永4)僧侶・菊径により再興されました。
早雲寺には、戦国時代を代表する文化人として名高かった北条長綱の作といわれる
枯山水庭園が残るほか、北条五代の墓、「北条早雲像」(国指定重要文化財)など
の文化財が保存されているそうです。
いただいた御朱印には、『禄壽應隠』の文字の上に“虎”を据えた“北条氏”の印が
押されています。北条氏、代代の当主が発給する文書に押印していた印だそうです。
ちなみに、『禄壽應隠』とは、禄は財産、壽は生命、「禄壽が応に(まさに)穏や
かであるように」という、北条氏の施政にあたっての想いが込められた印のようです。
領民に慕われた大名と言われる北条氏の基本的考え方がよく伝わってくる“虎朱印”と思います。