長谷寺・室生寺・大神神社・談山神社 めぐり
大阪難波から近鉄大阪線に乗り、桜井駅で下車、日本最古の神社と言われる大神神社と十三重の塔で有名な藤原鎌足を
祀る談山神社、そして日本でも有数の観音霊場として知られる長谷寺、また女人高野と言われる室生寺を旅してきました。
大神神社
桜井駅でJR桜井線に乗りかえ、次の駅の三輪駅で下車、駅近くの踏切を渡るとすぐに二の鳥居が
見えてきます。境内まで、5分もかからず到着です。
燈廊が並ぶ静かな趣の参道を行くと左手に夫婦岩があります。
社の由緒によりますと、大神神社は、遠い神代の昔、大国主神(おおくにぬしのかみが、
自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大物主神
(おおもの ぬしのかみ)の名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりだそうです。
本殿 は設けておらず、拝殿(写真上)の奥にある三ツ鳥居を通して三輪山を拝するという、原始神道
の姿を残している神社で、日本最古の神社と言われています。
大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神は“おおみわ”と読まれ、神様の中の
大神様 として尊崇されているそうです。
談山神社
桜井駅から、談山神社行きの路線バスに乗り30分程で終点、談山神社に到着します。
バス停から、西側まわり、東側まわり、どちらからでも行けますが、大きく回りながら3分ほど
歩きますと談山神社の正面入り口に到着です。
ここから階段をまっすぐ登っていきますと拝殿並びに拝殿の奥に構える本殿前に到着します。
談山神社の祭神は、大化の改新に功績のあった『藤原鎌足』です。
645年、中臣鎌足(後の藤原鎌足)は当時の皇太子、中大兄皇子(後の天智天皇)と二人、
多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の”談合”を行ったそうです。
後にこの談山神社が鎮座する多武峰の山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の
起こりとなったそうです。
境内にある十三重の塔は、唐の清涼山宝池院の塔 を模して建てられたといわれています。
高さは約17メー トル、屋根は伝統的な檜皮葺きです。神仏混淆時代の名残であると同時に、
談山神社のシンボル的になっています。
長谷寺
長谷寺は、桜井市初瀬にある真言宗豊山派の総本山になる寺院です。
長谷寺は、奈良時代の朱鳥元年(686)に、道明上人が天武天皇のために祈願したことに始まる寺院で、
山号は豊山神楽院、本尊は十一面観音菩薩になります。
西国三十三観音霊場第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られています。
近鉄大阪線桜井駅から二つ目の長谷寺駅で下車、正面の階段(う回路もありますが)を真っ
すぐに降り、初瀬街道、初瀬川を渡り、つきあたりを右に曲がると、長谷寺の参道に入ります。
この通りを東に進んでいくと、10分ほどで、長谷寺の入口になります。
長く続く長谷寺独特の登廊を登ると途中に、百人一首で有名な紀貫之の“故里の梅”(写真下)があります。
『人はいさ 心も知らず 故里の 花ぞ昔の 香に にほひける』
は、貫之が、長谷寺に参拝に行った時に宿で読んだ歌だそうです。
「あなたは、さあ、昔のままのお心なのでしょうか? でも、以前よく訪れたこの里には、
昔と同じように梅の花が香っていますね。」と一見、恋の歌のようにも思いますが、実は
貫之が定宿としていた宿の主人の皮肉への返歌だそうです。
長谷寺参拝の足が遠のいていた貫之に、宿の主人が遠まわしに「昔どおりに宿はありますのに」
と責めたときに、貫之は、宿に生えていた梅の花を見て、返した歌なのだそうです。
小倉百人一首の中にはもう一つ、長谷寺が舞台の歌が取り上げられています。
源俊頼の歌、『憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを』は、“長谷観音”さまに、
うまくいかない恋の成就を祈願した歌になります。
「あの人はなびいてもくれない、そんなつらい恋、初瀬の観音様にお祈りをしたのだけれど、初瀬から吹き降ろす
山おろしよ、お前のように前よりも一層つらくはげしくなってしまったことよ」という片思いの嘆きが歌われてい
るように思います。 ひょっとすると、長谷観音様は色恋沙汰には無頓着なのかもしれません。
本堂(写真上)は、小初瀬山中腹の断崖絶壁に舞台造りされた南面の大殿堂で、国宝に指定されています。
いただいた御朱印には、「大悲閣」と書かれていました。観音様のいらっしゃる舞台づくりの”大殿堂”ということだとおもいます。
室生寺
室生寺は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派の大本山となる寺院です。本尊は如意輪観音になります。
近鉄大阪線長谷寺駅から二つ目の室生口大野駅で下車、駅構内から室生寺行きのバスに揺られ15分ほど
で室生寺前に到着です。
土産物屋などが店を構える宇陀川沿いの道を北へ5分ほど歩けば、室生寺の象徴の一つ太鼓橋が見えてきます。
太鼓橋を渡り右へ折れ、受付を通ると仁王門が待ち構えます。
仁王門を抜け、階段を上ると正面が国宝の金堂(写真下)、さらに進むと本尊如意輪観世音菩薩を祀る
本堂になります。
室生寺は、桓武天皇が病気になられた時、龍神信仰の室生山で行われた祈祷により快癒されたこと
に感謝され、天皇の発願で国家鎮護の寺として建立されたということです。
現在は、真言宗室生寺派の大本山になります。
女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣が許されていたことから「女人高野」の別名がある女性
に優しいお寺です。 また石楠花が多く、石楠花の寺としても有名です。
いただいた御朱印には、本尊の「如意輪観世音」と書かれていました。
季節は秋、花はなくてさみしいですが、本堂横の石楠花で埋まる石段を登るとそこにそびえるのが、
国宝の五重塔です。
屋外に立つ五重塔としては、日本で最も小さく、また法隆寺の五重塔に次ぐ古塔だそうです。
丹塗りの組物、バランスの良いたたずまいが、奥深い林の中に、溶け込んでいるのが特徴です。
五重塔からさらに奥へ7~8分、およそ450段と言われる階段を登った所が、奥の院になります。
奥の院には、弘法大師を祀る御影堂があります。
奥の院では、およそ50年、毎日奥の院へ続く階段を上り、御朱印を書き続けてこられたという方に
お会いし、御詠歌付きで御朱印をいただいてきました。
御詠歌には、弘法大師が詠んでいるのであろう「我が身をば 高野の山にとどむとも 心は室生に
有明の月」と詠われています。