四天王寺は大阪天王寺区にある寺院であり、山号は荒陵山、本尊は救世観音菩薩、聖徳太子建立七寺の一つになります。聖徳太子建立の寺と言うことで、宗派にとらわれない全仏教的立場から和宗総本山として、独立した立場にあります。
寺伝によりますと、物部氏と蘇我氏の戦いのおり、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もしこの戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立したのが四天王寺だそうです。 創建年は、今から1400年前の推古元年(593)になります。
蘇我馬子が建てた飛鳥寺と並び、日本における本格的な仏教寺院として最古のものになります。
総面積33、000坪の境内には、仁王門、五重塔、金堂、講堂など主要な堂宇が一直線に並び、それを回廊が囲む「四天王寺式伽藍」の他、太子の御霊を祀る聖霊院(太子殿)を始め多くの堂宇がありますが、今回は、主要なお堂を巡ってきました。
金堂
谷町筋から石の鳥居(西門;写真下)をくぐり、四天王寺の境内に入ります。
西門は、“西方極楽浄土”の東門(入口)ということから、平安時代以降“浄土信仰”の寺としての性格を
もつようになり、四天王寺の西門は西方の海に沈む夕陽を拝する聖地として、多くの信者を集めてきた
ということです。
石の鳥居をくぐるとすぐに“極楽門”が目に飛び込んできます。
極楽門を抜けると回廊が囲む「四天王寺式伽藍」その中心が、金堂になります。
建物は、戦後再建された鉄筋コンクリート製ですが、飛鳥建築の様式を取り入れているそうで、
創建当時の面影を感じることが出来ます。
金堂の内部には中央に本尊救世観音菩薩像、また仏壇周囲には四天王像が立っています。
金堂と仁王門の間には、“五重塔”が建っています。 1959年建立の八代目になるそうです。
御朱印は、金堂に安置されている本尊“救世観音菩薩”を示す“大悲殿”と書かれています。
聖徳太子は、「救世観世音菩薩」の化身としても仰がれています。
阿弥陀堂
阿弥陀堂は、極楽門の南側にあるお堂で、現在のお堂は、戦後、四天王寺の末寺である三重県国束寺
の本堂を移築したものだそうです。
この阿弥陀堂には、元念仏堂に祀られていた天台宗の開祖;法然上人(円光大師)が祀られていて、
札所になっています。
いただいた御朱印には、”円光大師”と書かれていました。
聖霊院(太子殿)
聖霊院(太子殿)は、仁王門の東側にあり、ここは聖徳太子の御霊を崇っています。
聖霊院でいただける御朱印は、“聖徳太子”と墨書きされたものと“太子髪中四天王”と書かれた二つです。
太子髪中四天王とは、聖徳太子が物部氏との戦いの時、戦勝を祈願して髪の毛の中に小さな四天王の像
を入れていたことに始まるそうです。
亀井堂
亀井堂は、中央伽藍の外、北東側にあります。
亀井堂の霊水は金堂の地下から湧く水であり、供養を済ませた経木を流せば極楽往生が叶うといわれていて、
多くの参拝客が訪れます。堂の南側には、亀井不動堂が建ています。
亀井不動堂は、“近畿三十六不動尊霊場一番札所”になっていて、“亀井不動”の御朱印をいただ
くことが出来ます。
六時礼賛堂
六時礼賛堂は、中心伽藍の北側に位置する堂々とした構えのお堂です。江戸時代の初めに建て
られたもので、重要文化財に指定されています。
堂の手前の「亀の池」の中央にある石舞台は、住吉大社の石舞台、厳島神社の平舞台と共に、
日本三大舞台の一つに数えられ、重要文化財に指定されています。
ここでは、昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があります。
薬師如来・四天王等がお祀りされています。
いただいた御朱印は、“薬師如来”になります。
六時礼賛堂の北東にあるのが本坊になります。 方丈前にある庭は“極楽浄土の庭”と呼ばれていて、
小さな滝が音を挙げて流れ、また蓮の花が終わりを迎えていました。
なお四天王寺の御朱印は、極楽門の北側にある納経所で一括管理されています。
ここでは、今回いただいた御朱印の他に、万灯院の普賢菩薩、布袋堂の布袋尊、大黒堂の三面大黒天
などの御朱印もいただくことが出来ます。