金峯山寺・吉水神社・吉野水分神社・金峯神社 めぐり
吉野山は、大峯連山の北の端から南へおよそ8キロメートル続く尾根一帯をさします。
古来より桜の名所として数々の歌に詠まれていますが、吉野山一帯には、三万本にのぼる桜の木が
植わっているそうです。
山全体が世界遺産に登録されており、金峯山寺、吉水神社、吉野水分神社、金峯神社などの世界遺産
の建物を徒歩で廻ることが出来ます。
今回の旅は、2013年4月9日、例年ですと下千本あたりが満開の時期かと思いますが、今年は吉野も桜
の開花が早く、すでに奥千本も散り始めていました。
近鉄電車の吉野駅で降り、徒歩で下千本から奥千本まで往復する桜と御朱印めぐりの旅を紹介します。
下千本から中千本
近鉄吉野駅から、日本最古のロープウエイで登ることもできますが、今回は、七曲坂を散りゆく桜を
愛でながら徒歩で登っていきます。
20分ほど歩きますと金峯山寺の総門になる黒塗りの高麗門、黒門が見えてきます。
さらに土産物屋や飲食店が並ぶ平坦な参道を5分ほど歩けば、日本三大鳥居に数えられる銅の鳥居に到着です。
つづく国宝の仁王門は、室町時代に再興された本がわら葺きの二重門で、その迫力に圧倒されます。
金峯山寺
金峯山寺は、修験本宗の総本山で蔵王権現を本尊とする修験道の根本寺院になります。
寺伝によりますと、金峯山寺は7世紀の後半、役行者神変大菩薩(小角)が吉野山に修行に入り、
蔵王権現を本尊とする修験道の寺を開いたのが開創だそうです。
寺の案内によりますと、修験道は自ら修して、自らその験しを得るところに真髄があるそうです。
修するとは、役行者の教えの道を修するのであり、験しを得るとは単に験力や神仏の加護を獲得
するではなく、自らの心の高まり(菩提心)を得ることにあるそうです。
自らの身体でそれぞれに体験し、その精神を高めていくことが修験道の基本と言えそうです。
本堂(写真上)は、“蔵王堂”と呼ばれ、重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートルの威風
堂々とした姿は、修験道の根本寺院としての趣を感じさせます。
いただいた御朱印には、“蔵王堂”と書かれています。
ご本尊の“蔵王権現”さまがいるお堂の御朱印ということになります。
蔵王権現は、身の罪や汚れを懺悔すれば過去、現在、未来三世にわたって救済していただけるという
三世救済の権現仏です。怖い形相とは逆に、我々の苦しみを救ってくれる慈悲深い蔵王権現さまのお
心が伝わってくるような御朱印です。
なお、同じ本堂で、境内にある観音堂で“十一面観音”、愛染堂で“愛染明王”の御朱印もいただいてきました。
吉水神社
蔵王堂から、2,3分歩いた所にあるのが、吉水神社です。
吉水神社は、元吉水院と称した吉野修験宗の僧坊であったものが、明治の神仏分離令により、
神社として独立したものです。
当社は、南北朝時代の南朝の元宮であり、後醍醐天皇を祭神としています。
また天皇の忠臣であった楠木正成と吉水院宗信法印を合祀している神社になります。
いただいた御朱印には、「南朝皇居」そして”菊紋”が入っていました。
また当社には、後醍醐天皇の玉座や、源義経潜居の間などが当時のまま残っており、動乱の時代を
感じることが出来る所です。
境内には、「ここにても 雲居の桜咲きにけり ただかりそめの 宿と思ふに」と後醍醐天皇が
詠まれた歌碑が立っています。 京への思いが根底に流れている歌かと思います。
また、豊臣秀吉が花見に訪れたという吉水神社の境内からは一目千本と言われる、中千本の絶景の
お花見スポットがあります。
竹林院
吉水神社から、緩やかな登り坂を土産物屋や桜ソフトクリームに目を奪われながら10分ほど歩くと
竹林院に到着です。
竹林院は、聖徳太子が入峯した時に建てた椿山寺に始まり、本尊は不動明王、修験道の行者の宿坊だ
ったそうで、現在も宿坊竹林院群芳園で知られています。
護摩堂に安置されている聖徳太子堂は、南北朝時代の作になるそうです。
庭園の群芳園は千利休が作庭したと言われる池回遊式の借景庭園で、大和山庭園の一つに数えられています。
敷地内に立つ西行碑には、『吉野山 こぞのしをりの 道かへて まだ見ぬかたの 花をたづねん』
という歌が記されています。“吉野の桜を愛した西行が、以前来た道にしるしをつけておいたけれども
今回は道を変えて 違う景色の桜を愛でよう”という吉野の桜を楽しみにしていた西行の気持ちが伝わ
ってくる歌です。
いただいた御朱印には、『椿山慈救殿』と、創建当時の由緒ある寺名が書かれていました。
吉野水分神社
竹林院を過ぎると徒歩で上千本(奥千本)にのぼるかバスで登るかの分かれ道、バスは2時間近く待つ
というので、徒歩で吉野水分神社に向かいます。下の写真は、上千本の桜になります。
中千本から上千本の桜を愛でながらおよそ1時間で吉野水分神社に到着です。
吉野水分神社は、水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神としています。
“みくまり”が“みこもり”となまり、俗に子宝の神として信仰されているそうです。
社殿は、慶長10年(1605)に豊臣秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、弊殿、楼門、回廊からなる
桃山時代の様式をつたえる美しい建築物です。
金峯神社
吉野水分神社から高城山展望台をとおり、杉の林が続く道をおよそ30ほど歩くと奥千本のバス停、
さらに5分ほどで金峯神社に到着します。
金峯神社は、奥千本に鎮座する神社で、祭神に吉野山の地主神、金山毘古命を祀っています。
境内から左下に下ると、義経が弁慶らと追手を逃れるために隠れたと言われる小さな
義経の隠れ塔がひっそりとたたずんでいます。
金峯神社の右わきの登山道を15分ほどわけ入っていくと、視界が開け目の前には、
奥千本の桜が広がってきます。
さらに西行庵をめざし山道を下っていくと“苔清水”と言われる清水が岩間から湧き出し
ているところがあります。
『とくとくと 落つる岩間の 苔清水 汲みほすほども なき住居かな』と、ここから
100メートルほどの所に庵を構えた西行が詠んだ清水、手ですくって西行を偲びながら一口飲んできました。
人っ子ひとりいない深い森の中、写真のような小さな庵で一人暮らす西行の出家生活が偲ばれます。
如意輪寺
来た道を足早に引き返し、竹林院の近くから谷方向に折れ、15分ほど歩くと如意輪寺に到着です。
如意輪寺は、浄土宗のお寺で、山号は塔尾山、本尊は如意輪観音になります。
延喜年間(901~923)日蔵道賢上人の建立で、南北朝時代後醍醐天皇の勅願寺と定められた寺院で、
裏山には後醍醐天皇の御廟があります。
御朱印には、“大悲閣”と書かれています。慈悲深い観音様がいらっしゃる御殿ということかと思います。
如意輪寺からは、平坦な観光車道を20分ほど歩き、吉野駅に戻ってきました。