東福寺・泉涌寺・伏見稲荷 御朱印めぐり
通天橋で知られる東福寺から御寺と呼ばれる泉涌寺、朱に塗られた長く続く鳥居で知られる伏見稲荷大社までの御朱印めぐりの旅を紹介します。
東福寺
東福寺は、JR奈良線,京阪本線の東福寺駅から南東方向へ徒歩5,6分の所にあります。
創建は鎌倉時代の1236年、臨済宗東福寺派の大本山で京都五山の一つに数えられています。
本尊は釈迦如来、開基は九条道家になります。
また東福寺の名は、「洪基を東大寺につぎ、盛業を興福寺にとる」と、奈良の二大寺に
ちなんで付けられたそうです。創建当時は、高さおよそ15メートルの釈迦像(大仏)が
本尊として祀られていたそうです。
三門(国宝)、本堂、方丈などからなる主要伽藍を中心に多くの塔頭寺院があります。
三門は、1425年に再建されたもので、現存する禅寺の三門としては日本最古のものになります。
主要伽藍の北には洗玉澗という渓谷があり、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋
(東福寺三名橋)が架かかっています。
通天橋は、本堂から通じる廊下がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所
として知られています。毎年11月の紅葉シーズンになると、拝観者の長い列が続きます。
下の写真は、臥雲橋から通天橋の紅葉を写したものになります。
次の写真は、通天橋から臥雲橋を見たものになります。
いただいた御朱印には、『大佛寶殿』とあります。創建当時の大仏(釈迦像)を
祀ったお堂ということかと思います。
泉涌寺
東福寺から、東へ10分程度歩くと泉涌寺になります。
泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山で、皇室との関連が深く御寺(みてら)とも呼ばれています。
本尊は、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三尊になります。
寺伝によれば、弘法大師空海が天長年間(824-34)ここに草庵を結び、法輪寺としたのが起こりだそうです。
そして1218年に月輪大師が造営するにあたり、清泉が涌き出たことに由来し、泉涌寺と改められたそうです。
仏殿の近くには、寺名の元になった泉がいまもわき出ており、泉涌水屋形が建てられています。
皇室の当寺に対する帰依は篤く、1242年、四条天皇崩御の際は、当山で葬儀が営まれ、
山稜が当寺に造営されています。
その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る
歴代天皇・皇后の葬儀が当山で執り行われ、山稜が境内に設けられ、皇室の菩提寺として
「御寺」(みてら)と尊称されるようになったそうです。
当初の伽藍は応仁の乱でほとんど焼失し、現在の諸建造物はそれ以降の建立のものだそうです。
大門から参道を下って正面の仏殿は1668年に再建されたもので、続く舎利殿も同時期に再建
されたものだそうです。
泉涌水屋形の隣には、清少納言の『夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ』の歌碑があります。“中国の故事では、関守も眠っている深夜、一番鳥の鳴き声をまねて函谷関の関を開けさせて逃げ延びた武将がいるそうですが、私の逢坂の関は絶対に開きませんよ”と強い女の心を詠んだ才女の歌として知られています。
清少納言は晩年を現在の泉涌寺のあたりで暮らし、彼女が仕えた中宮定子の眠る御陵を拝しながら生涯を終えたということです。
こちらでいただいた御朱印は2つです。
一つは、皇室菩提寺としての御朱印です。菊紋が立派に大きく押印され、香を焚き花を供える場所、
という意味の「皇室香華院」の印、そしてその場所である「霊明殿」が書かれています。
そして最後に「みてら」と記されています。
二つ目は、大門をくぐってすぐ左にある“楊貴妃観音堂”でいただいた御朱印です。
中国・南宋時代の作である観音菩薩坐像(通称楊貴妃観音)を安置されており、像容の美しさから、
玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、楊貴妃観音と呼ばれてきたそうです。
今熊野観音寺
観音寺派、泉涌寺の塔頭のひとつで真言宗泉涌寺派の寺院で、西国三十三所観音霊場第十五番札所
になっています。
寺の縁起によりますと、弘法大師空海が唐の国から帰国されてほどなくの頃、東寺において
真言密教の秘法を修法されていたときに熊野権現のお告げを聞き、お告げのままに一堂を建立され、
みずから一尺八寸の十一面観世音菩薩像を刻まれ、奉安されたのが当山のはじまりだそうです。
この観世音菩薩像は本尊(秘仏)としてまつられています。
後白河上皇が永暦元年(1160)、新熊野社を勧請創建された際、改めて新那智山の山号を寄せられ、
今熊野観音寺と称するようになったそうです。
御朱印には、『大悲殿』と書かれています。大慈大悲の観世音菩薩がおられるお堂ということです。
「人々の悲しみをくみ取って何とかしてあげようと言う観音様の慈しみの心」の心が書かれているわけです。
伏見稲荷大社
JR奈良線、稲荷駅前にある神社で、通称「お稲荷さん」と呼ばれています。
稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体が神域になります。
社の始まりは、奈良時代の和銅4年(711)と言われ、すでに1300年の歴史がある神社になります。
稲荷神は、「衣食住の大祖にして万民豊楽の神霊なり」と崇められ、五穀豊穣、商売繁盛、
家内安全、請願成就の神と言われています。
全国に約4万社ある稲荷神社の総本社で、毎年初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集めています。
伏見稲荷には信者から奉納された約1万基の鳥居があり、特に“千本鳥居”と呼ばれる所は
狭い間隔で多数鳥居が建てられ名所となっています。
なお鳥居を奉納するこの習わしは江戸時代に始まったそうです。