常寂光寺・二尊院・祇王寺・化野念仏寺・清涼寺 めぐり
嵯峨野は、京都の市街地から西、小倉山の東、桂川の北に広がる地域をいいます。
嵯峨天皇が離宮嵯峨院を建てたのをはじめ、多くの平安貴族の別荘があった所で、藤原定家は、
この地に小倉山荘を建て、小倉百人一首を選んだことでも知られています。
特に、市街地と違い竹林などが茂る静かな古都の風情を求める観光客や紅葉を楽しみに多くの
人が訪れます。
観光案内などでは、渡月橋を中心とする嵐山と合わせて嵯峨野と称する場合が多いようですが、
本記事では、JR山陰線の北側に広がる地区の御朱印めぐりの旅を紹介します。
写真は、渡月橋越に見る“小倉山”、そのふもとにある“小倉池”になります。
常寂光寺
常寂光寺は、嵐電嵐山駅から北西へおよそ15分、小倉山の中腹にある日蓮宗の寺院です。
寺の歴史によりますと、慶長元年(1596)に、日蓮宗大本山本圀寺の日禎上人が隠棲の地として
寺を開いたのが始まりと伝えられています。
新緑と紅葉の美しい小倉山の中腹にあり、“常寂光土”に遊ぶような風情があることから常寂光寺
という名がつけられたそうです。
仁王門は、貞和年間(1345~1349)に建立されたもので、常寂光寺では、もっとも古い建物になります。
下の写真は、上から見た仁王門になります。
京都市街を一望できる所に、重要文化財に指定されている高さ12メートルの美しい多宝塔があり、
ひと際輝きを放っています。
いただいた御朱印には“宝樹多花果”と美しい木々、果実や花が咲き誇っている様子が記されています。
この言葉は、経文にある言葉だそうで、まさに“常寂光土”すなわち“極楽浄土”を表しているようです。
二尊院
常寂光寺から北へ徒歩2分の所にあるのが、天台宗の寺院、二尊院です。
二尊院は、山号は小倉山、本尊は釈迦如来と阿弥陀如来の二つの如来を祀り、正式には
二尊教院華台寺と言います。二尊院の名は、本尊の二如来に由来するわけです。
創建は、承和年間(840年前後)で、嵯峨天皇の勅により、慈覚大師円仁が建立したと伝わっています。
総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は紅葉の名所として知られています。
写真は、新緑に覆われた紅葉の馬場になります。
藤原定家が小倉百人一首を編んだ山荘『時雨亭』の場所には諸説ありますが、その一つが、
二尊院の裏山に残る時雨亭跡になります。
御朱印には、“本尊二尊”と書かれています。御本尊の二如来を表しています。
祇王寺
祇王寺は、二尊院から北へ徒歩5分程度の所にある真言宗大覚寺派の寺院です。
山号は、高松山、本尊は大日如来になります。
寺の歴史によりますと、現在の祇王寺は、昔の往生院の境内になるそうです。
往生院は法然上人の門弟良鎮に依って創建されたと伝えられたそうですが、いつの間にか荒廃して、
ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれる様になったそうです。
清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が、清盛からの愛を失い、出家しここに庵を結んだのがここ祇王寺になります。竹と楓に囲まれたひっそりとした尼寺の風情は、祇王の悲恋を映しているようにも思います。
新緑が揺れる一面苔に覆われた境内は、祇王がひっそりと暮らした尼寺の風情を伝えてくれます。
また苔の切れ目には、双葉葵の群生もみられました。
御朱印には、本尊の“大日如来”が書かれていました。
化野念仏寺
祇王寺からさらに北へ、嵯峨野を散策しながら15分ほど歩けば、化野念仏寺に到着です。
化野念仏寺は、浄土宗の寺院で山号は華西山、本尊は阿弥陀如来になります。
寺伝によりますと、化野念仏寺は、1100年ほど前、弘法大師により五智如来寺として開創され、
その後、法然上人の念仏道場となり、現在にいたっているそうです。
“化野”(あだしの)の、“あだし”とは“はかない、むなしい”の意味があり、また“化”は、“生が死になり
”“再び生まれ化り”や極楽浄土に往来する願いなどが込められた言葉だそうです。
この地は、古来から葬送の地で、境内にある石仏や石塔は、この一帯に葬られた人々のお墓だそうです。
境内には、8,000にも上る石仏や石塔がありますが、これらは明治の中期に、化野一帯に散乱埋没して
いた無縁仏を拾いあつめたものだそうです。
写真のように“賽ノ河原”になぞらえて“西院の河原”と名づけられた所には、おびただしい数の石仏、
石塔が並んでいました。
いただいた御朱印は、阿弥陀如来の御宝印とともに“無縁仏の浄土”と墨書きされていました。
清涼寺
化野から嵐山方向に戻る途中にあるのが、清涼寺です。
清涼寺は、浄土宗の古刹で、山号は五台山になります。
本尊は、釈迦如来で、“嵯峨釈迦堂”の名で知られています。
寺伝によりますと、清涼寺の前身は、光源氏のモデルとされる嵯峨天皇・皇子の源融の山荘
「棲霞観」(棲霞寺)で、寛平7年(895)ごろの話になるようです。
そして寛和3年(987)奝然(ちょうねん)という僧が中国の修行から帰国し、大清凉寺の
建立を計画、没後、弟子の盛算が棲霞寺に、師が宋より請来の釈迦如来立像を本尊として
安置したのが清涼寺の始まりになるそうです。
本尊(国宝)は、日本三如来の一つで“三国伝来(インド~中国~日本)の釈迦像”と呼ばれ
尊祟されているそうです。
いただいた御朱印には、”国宝釈迦如来”と墨書きされていました。
大覚寺
清涼寺から、北東方向へ10分少々歩くと大覚寺に着きます。大覚寺は、真言宗大覚寺派大本山の寺院です。
山号は嵯峨山、本尊は不動明王を中心とする五大明王になります。
創建は貞観18年(876)、開基は嵯峨天皇で、嵯峨天皇の離宮を寺に改めたもので、代代の法皇が住職を務めるなど皇室とゆかりの深い門跡寺院の一つです。
とりわけ、後宇多法皇や亀山法皇はこちらに入寺し、院政を行ったため『嵯峨御所』とも呼ばれていたそうです。
境内にある大沢池は中国の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したものといわれ、当時の唐風文化の面影を今に残しています。
こちらは、11月に参拝におとづれましたが、一緒に写っている菊は、“嵯峨菊”と呼ばれる大覚寺独特の品種です。嵯峨天皇の時代から大沢池の菊ヶ島に自生していた野菊だそうです。花弁が細く、一見頼りなげに咲く嵯峨菊、秋の日差しを受けてけなげに咲き誇っているのが印象的でした。
いただいた御朱印には、本尊の“五大明王”と書かれていました。