西芳寺・鈴虫寺・竹の寺・松尾大社 御朱印めぐり
洛西地区は、嵐山や松尾山などの豊かな自然を活かした名園が多い所です。
西芳寺は、境内に120種類にも上る苔が生え、緑のじゅうたんを敷き詰めたような美しさから
“苔寺”とも呼ばれています。
また京都洛西の総氏神である松尾大社は、背後の松尾山から流れる谷川に、滝もかかっており、
境内には昭和を代表する名園があります。
この二つの寺社を中心に、鈴虫寺、竹の寺をめぐる御朱印めぐりの旅を紹介します。
地蔵院(竹の寺)
阪急電車嵐山線上桂駅から西へ徒歩13,4分の所にあるのが地蔵院です。
地蔵院は、臨済宗の寺院で山号は衣笠山、本尊は地蔵菩薩です。
周囲が竹林で覆われていることから、竹の寺と呼ばれ、
静かなひっそりとしたたたずまいが印象的なお寺です。
創建は応安元年(1368)、室町幕府の武将細川頼之によるもので、開山は夢窓疎石と言われています。
一休禅師が、幼少のころに修行をされた寺として知られています。
本堂(地蔵堂)には、細川頼之や夢窓疎石の像も祀られているそうです。
境内には、“十六羅漢の庭”と呼ばれる枯山水の庭があるそうですが、残念ながら非公開になっています。
いただいた御朱印には、“本来無一物”と書かれていました。
これは、都会育ちと田舎育ち、富む者と貧する者などと区別して見がちですが、
人間、本来は“裸一貫”皆同じということを表しているようです。
西芳寺(苔寺)
竹の寺から徒歩5分程度で西芳寺に到着です。
西芳寺は、臨済宗のお寺で、庭園に生い茂る苔の見事さから一般には“苔寺”と称されています。
山号は洪隠山、本尊は阿弥陀如来になります。
寺伝によりますと、創建は奈良時代で、聖武天皇の勅願により行基が開山になります。
その後、戦乱により荒れ果てましたが、暦応二年(1339)に後醍醐天皇、足利尊氏の帰依を
受けた夢窓疎石により再建されたそうです。
夢窓疎石の作となる枯山水石組みの上段の庭(写真下)と、心の字を形どる黄金池を中心と
した池泉回遊式の下段の庭から成る庭園は、当時既に天下の名園として名高く、足利義満を
はじめここを訪れて座禅に励んだ人も多いそうです。
足利義政も何度か訪れ、西芳寺と金閣寺を模して創建したのが銀閣寺になるそうです。
3万50平方メートルに及ぶ庭園は、国の特別名勝及び史跡に指定され、
120種類以上に及ぶ青苔に一面が覆われ、広く“苔寺”の名で親しまれています。
般若心経の写経をして納めた証としていただいた御朱印は、“達磨”の絵が書かれた見開きの御朱印でした。
西芳寺は臨済宗のお寺、禅宗の開祖である“達磨大師”と中央には、本尊である“阿弥陀仏”が記されていました。
西芳寺は、観光客と地元の住民とのトラブル対策のために、少人数による拝観システムがとられています。
参拝するためには、往復はがきによる事前拝観申し込みが必要ですので、注意が必要です。
往復はがきに、拝観希望日、人数、代表者の住所・氏名を明記して、拝観日の7日前必着で送ることが必要
になります。
ちなみに宛先は、〒615-8286 京都市西京区松尾町神ヶ谷町56 西芳寺参拝係
になります。
鈴虫寺(華厳寺)
苔寺から鈴虫寺までは、徒歩5分程度になります。
秋だけでなく四季を通じて一年中鳴く鈴虫の音色を聞くことが出来、“鈴虫寺”として有名ですが、
正式名称を“妙徳山 華厳寺”といい、本尊に大日如来を祀る臨済宗の禅寺になります。
華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)
によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺です。
煎茶と茶菓子のもてなしを受け、4月末の昼間というのに鈴虫の音がりんりん響く本堂で、
鈴虫寺の名物とも言える僧呂による“鈴虫説法”に耳と目を傾け、心洗われるひと時を過ご
させていただきました。
“成せばなる”という当寺の教えにあるように、一年中なく鈴虫の音は、28年もの歳月をか
けて完成させたものだそうです。まさに“成せば鳴る”ただただ驚きです。
石段を上った所にある山門の脇には、どんな願い事でも一つだけかなえてくださると言わ
れる有名な“幸福地蔵菩薩”が祀られています。
普通のお地蔵さまは皆はだしですが、こちらのお地蔵さんは、日本で唯一わらじをはいています。
我々を救ってくださるために歩いてきてくださるのだそうです。
いただいた御朱印には、“妙音大士”と書かれていました。
“妙音”とは“妙音観世音”という言葉もあるように「言葉ではとてもいい表すことが出来ない美しい声」
という意味であり、“大士”は仏様のことをいいます。
鈴虫寺ならではの御朱印かと思います。
松尾大社
松尾大社は、鈴虫寺からは徒歩15分、阪急電車松尾駅から徒歩3分の所にあります。
社の由緒によりますと、太古の昔からこの地域に住んでいた住民により、松尾山の山霊を
頂上に近い大杉谷の磐座に祀って、守護神として信仰してきたのが始まりだそうです。
5,6世紀ごろ朝廷の招きによって大陸からの渡来した秦氏が、山城の国一帯に居住し、
松尾山の神(大山咋神)を氏神として祀り、大宝元年(701)勅命により秦氏が現在の
地に社殿を造営したということです。
秦氏は、酒造の技術を日本に伝えたことから、松尾神は“酒造の神”としても信仰される
ようになっています。 下の写真は、酒樽と山吹きになります。
松尾大社は、関西一の“山吹”の名所として知られ、境内にはおよそ3,000本の
山吹きが所狭しと咲き誇り、彩りを添えていました。
境内は、背後の松尾山を含めて12万坪に及ぶそうで、松尾山から谷に沿って流れてくる
御手洗川には、霊亀の滝と呼ばれる滝もかかっています。
境内に点在する庭園、「上古の庭」、「蓬莱の庭」、「曲水の庭」は松風苑三庭と呼ばれ、
1975年に完成した昭和を代表する日本庭園(重森三玲の作)と呼ばれています。