高尾山薬王院・高幡不動・深大寺 御朱印めぐり
高尾山は、東京中心部から西へ約50キロ、新宿駅から京王線で50分、関東山地に位置する標高599mの山です。
江戸時代から信仰の霊山として、またこのあたり一帯は『明治の森高尾国定公園』に指定されていて、多くの観光客や登山者が訪れる所です。
元来は修験道の霊場であり、現在も山中には山岳信仰の飯縄大権現を奉る薬王院の諸堂が点在し、高尾山一帯が薬王院の寺域となっています。
今回は、高尾山に登り、薬王院に参拝、そして高幡不動から府中の大國魂神社、そして調布から深大寺へと京王線沿線の御朱印めぐりを紹介します。
高尾山薬王院
京王線高尾山口駅で降り、案内板に沿って5分ほど遊歩道を歩くと、高尾山への
ケーブルカーでの登り口“清滝駅”(写真下)につきます。
ここからはケーブルカーの他にリフトでも登ることが出来ます。
また登山道も、道が整備されている“一号路”、結構急な登りが続く“びわ滝道”、琵琶滝から
川沿いを登る“6号路”、それに稲荷山を経由して登っていく“稲荷山コース”の4つから選択
できます。
皆さんも目的や脚力を考えて、山頂への登山方法や登山道を選択されるとよいと思います。
今回は、「瀧行」で有名な琵琶滝を通る“びわ滝道”から入りました。清滝駅から川沿いに
緩やかな道を歩くことおよそ15分で“琵琶滝”に到着です。
訪れたのが2月末、滝の水量も少なめ、滝の周囲にはつららもはり、行は行われていま
せんでしたが、シーズンになれば、信徒の方や観光客のにわか修行者まで、滝水にあたり
心身を清めているそうです。
薬王院によりますと、瀧行は、神道のみそぎ(神仏に祈願するため冷水を浴び、心身の
穢れをとって清浄にすること)と同じ意味があり、日本古来の山岳信仰に由来する滝へ
の崇拝と結びついたものだそうです。
琵琶滝からは、薬王院の浄心門を目指して、“びわ滝道”に入っていきます。
ここからは結構急な、中級者向きの登山道のように思います。
途中、休憩をとりながら一歩一歩登ること40分でやっと、ケーブルカーの終点にほど
近い展望台に到着です。こちらからは、山の反対側(北側)に、小仏トンネルが見えてきます。
ここからは、“1号路”に合流し、薬王院を目指します。
途中、蛸に似た杉“蛸杉”、“浄心門”と緩やかな道を進んでいくと、途中、煩悩の数と
同じ108の階段を登る“男坂”(写真下)と舗装された谷あいの道を登っていく“女坂”
の二又に分かれます。
途中には、北原白秋の歌碑などがあります。
男坂、女坂が再び合流した所からは、緩やかな大杉並木、ここを抜けると“薬王院山門”になります。
薬王院は、744年に聖武天皇の勅命により東国鎮護の祈願寺として、行基により開山されたと
伝えられています。本尊として薬師如来が安置されたことから薬王院と称するようになったそうです。
南北朝時代の1375年には、京都の醍醐寺から俊源大徳が入山し、今の本尊である「飯縄大権現」
を奉祀してから、飯縄信仰の霊山であるとともに修験道の道場として繁栄することになったそうです。
護摩受付所(写真上)で御朱印をいただきますが、御朱印には、本尊である『飯縄大権現』
と書かれていました。
山門の先には、仁王門、薬師如来と飯縄権現を祀る本堂(写真下)、飯縄権現を祀る
本社(神社)と続いています。
本社(写真下)は、入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ権現造りで、社殿全体に
極彩色の装飾がされているのが特徴です。
本社の裏の奥の院(写真下)に参拝し、目指すは高尾山山頂になります。
多少起伏はあるものの比較的穏やかな登山道を20分ほど歩きますと山頂展望広場になります。
ちょうどお昼時、多くの登山客が持参の弁当を広げる中で、私は高尾山の名物“とろろ蕎麦”を
いただきました。
山頂では、春霞かそれとも今話題のpm2.5の影響か、霞がかってはおりましたが、霊山高尾山
から霊峰富士山を写真に収めて帰ってきました。
高幡不動尊金剛寺
高尾山口駅から特急電車に乗り15分ほどで、高幡不動駅に到着します。駅を降りると
もうそこは、高幡不動尊の参道、3分ほどで仁王門に到着です。
高幡不動尊は、真言宗智山派の別格本山の寺院で本尊は不動明王、寺号は高幡山明王院金剛寺です。
開山は平安時代初期、慈覚大師円仁が清和天皇の勅願により東関鎮護の霊場を高幡山山上に開いた
のが始まりとされています。
「高幡のお不動さん」と呼ばれ人々の信仰を集めており、成田山新勝寺などとともに、関東三大
不動の一つに数えられています。
仁王門をくぐると、正面にあるのが不動堂です。
寺伝によりますと、不動堂ははじめ、山中に建立されましたが、建武2年(1335)の暴風雨に
より倒壊したため、現在の地に移建したお堂で、東京都最古の文化財建造物になっています。
不動堂の奥にあるのが、“奥殿”になります。奥殿は文化財を収蔵、展示するためのお堂で、
ここに安置されている本尊、丈六不動三尊像は、十一世紀末頃の作と言われています。
重さ一トンを超す不動明王像は、寺の解説によりますと「関東武士勃興期の気分を伝える
豪快な塑像」とありましたが、我々に何にも負けない力を与えてくれる気がしました。
境内でひときわ目を引くのは、五重塔です。
高幡山金剛寺は新選組土方歳三の菩提寺であり土方歳三の銅像もあります。
大日堂(写真下)には土方歳三の位牌、更に奥殿では歳三の書簡のほか多くの
新選組資料が展示されています。
いただいた御朱印には、本尊の不動明王が墨書きされていました。
大國魂神社
高幡不動駅から特急に乗り、10分ほどで京王府中駅に到着です。府中駅から南へまっすぐ
歩くと5分足らずで、東京五社の一つに数えられる高い格式をもつ大國魂神社に到着です。
社伝によれば、景行天皇41年(111)、武蔵国の護り神として”大國魂神”を祀ったのが
始まりとされています。
大化の改新以後、この地に武蔵国の国府が置かれて以来、国司が祭祀を執り行っていましたが、
平安時代に各諸神を合祀する「総社」と呼ばれるものが置かれ、武蔵国では大國魂神社がその
総社になったそうです。
参道をまっすぐに進み隋神門、中雀門をくぐると、拝殿に到着です。
拝殿の後ろに本殿がありますが、我々が目にできるのは、拝殿(写真下)になります。
本殿が神座そのものであるのに対し、拝殿は人が神に対して祭祀や祈願など
さまざまな行いをする場所になるわけです。
深大寺
調布駅からバスに乗ると15分程度で深大寺に到着します。
深大寺では、昔から蕎麦をつくり、江戸時代には将軍家にも献上されたと伝えられるほどで、
“深大寺そば”として有名です。参道のお店も、平日というのに多くの蕎麦を食する人でにぎ
わっていました。私も、参拝後、一般的な2・8蕎麦をいただいてきました。
深大寺は、天台宗のお寺で、本尊は阿弥陀三尊像です。山門をくぐると正面に本堂が見えます。
本堂を正面に左奥にあるのは、元三大師堂です。
江戸時代は深大寺の信仰の中心だったといわれています。お堂の中には元三慈恵大師の
大像が納められていますが秘仏のため見ることはできません。
いただいた御朱印には、現在釈迦堂の方に安置されている白鳳時代の作、釈迦如来像を
表す「白鳳仏」が墨書きされていました。