二荒山神社中宮祠、中禅寺 奥日光 御朱印めぐり
奥日光は、いろは坂から上の中禅寺湖周辺から金精峠付近にかけての標高1,200m以上の所をいいます。ここには、二荒山神社中宮祠ならびに立木観音で有名な中禅寺があり、この2社寺は、日光山を開いた勝道上人によるものと伝えられています。
今回は、いろは坂から華厳の滝(写真下)、そして戦場ヶ原散策と2社寺の御朱印めぐりに行ってきました。
中禅寺(立木観音)
華厳の滝から、中禅寺湖畔を南に進むとすぐに中禅寺になります。
中禅寺は、中禅寺湖畔の歌が浜にある天台宗の寺院であり、日光山輪王寺の別院になります。
こちらの御詠歌は「中禅寺 登りて拝む 湖の 歌の浜路に 立つは白波」だそうで、
本堂上の五大堂からは、中禅寺湖を一望することが出来ます。
下の写真は、本堂の屋根越しに見た中禅寺湖になります。
本尊は、日光山を開いた勝道上人の手で、桂の立木にそのまま彫られたと言う
“十一面千手観音菩薩”(全高6m)で、「立木観音」として有名です。
また坂東三十三観音霊場の18番札所になっています。
この立木観音像は、明治35年の大山津波で中禅寺湖に沈みましたが、奇跡的に
浮き上がり引き上げられ、それまでの地を離れ、中禅寺の歌が浜への移転とともに
現在の地に移されたということです。
いただいた御朱印には、“立木大悲殿”と墨書きされていました。
二荒山神社中宮祠
二荒山神社は、標高2,486mの男体山(二荒山)を御神体山として、奈良時代の
天応2年(782)に勝道上人によって奉祀された神社で、日光市内3か所に鎮座しています。
男体山に奥宮、日光市山内に本社、中禅寺湖のほとり男体山登拝口の地に中宮祠があります。
中宮詞は、日光山内の本社と奥宮の中間にあるので“中宮祠”という名がついたと言われています。
いただいた御朱印には、男体山登拝口と記されていました。
祭神は二荒山神社と同じ、大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、
味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の3神になります。
本殿(写真上)の右側に山頂奥宮への登拝門(下写真)があり、ここから登山道が続いています。
こちらでは、奥宮の御朱印もいただくことが出来ます。
社によりますと、昔話に戦場ヶ原で、男体山の神が大蛇に変じ、赤城山の神が変じた
ムカデと領地争いを行った伝説があるそうです。 赤城山のムカデに攻め寄られた男体山
の大蛇は、みごと赤城山の大ムカデを撃退し勝利したそうです。 戦いが行われた所を
「戦場ヶ原」、血が流れた所を「赤沼」、勝負がついた所を「菖蒲ヶ浜」、勝利を祝い
歌った所を「歌ヶ浜」と言い、これらは現在の奥日光の地名になっています。
また勝利した男体山の大蛇は「勝利」・「金運」・「健康」の守護神とされています。
中宮詞では、この大蛇(男体山)の御朱印をいただくこともできます。
中宮祠から、戦場ヶ原方面に車を進めると、中禅寺湖に流れ込む湯川が作る
「竜頭の滝」があります。奥日光三名瀑の一つで、下の写真のように男体山
の噴火による溶岩の上を210メートルにわたってすべり落ちています。
滝壷の近くが大きな岩によって二分され、その様子が竜の頭に似ていることから
この名がついたといわれています。
そして最後は戦場ヶ原、男体山が姿を変えた大蛇と赤城山のむかでとがここで
戦いを交えたという伝説から来ているそうですが、ところどころにひっそりと
立つ白樺の木が古戦場の静けさを放っていました。
下の写真は、三本松からみた雲の切れ間の“霊峰男体山”になります。