東京 浅草名所七福神 御朱印めぐり
七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、
福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の福をもたらすといわれる七つの神様のことを
言います。
「七難即滅、七福即生」という言葉にあるように、七福神を巡参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福をさずかること
ができると言われています。
七福神の信仰は、室町時代の末に始まり、庶民の間に広がっていったようです。
隅田川七福神めぐりのように、正月、その年の幸福を願って七福神を巡拝する形ができあがったのは、江戸時代と言われて
います。
この記事では、浅草名所(などころ)七福神めぐりを紹介しています。浅草名所七福神会の案内によりますと、浅草名所
七福神めぐりは九社寺が対象になります。「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。九は鳩でありあつまる
意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という古事に由来しているそうです。
浅草寺 (大黒天)
浅草寺は、台東区浅草にある東京都内最古の寺院で、浅草そのものが浅草寺の門前町として発展してきたわけです。
寺の縁起によりますと、浅草寺は、628年、隅田川で漁をしていた兄弟が、川で観音様の像を見つけたそうです。
それを当地の郷司であった土師真中知という方が“聖観世音菩薩”様であることを知り、やがて出家し僧となり、
この観音様をお祀りしたのが始まりと言われています。
そして、大化の改新が起こった645年、勝海上人がこの地にこられ、観音堂を建立したことが開基と言われています。
下の写真は、浅草寺の表参道入口、浅草の顔ともいうべき“雷門”になります。
仲見世を抜けると宝蔵門、そして正面に、屋根が驚くほど高くそびえる本堂があります。
本堂には、秘仏本尊聖観世音菩薩などが祀られています。
御朱印は、本堂の左側に位置する影向堂でいただきます。
観音さまの説法や活躍に不断に協力されている仏さま方を「影向衆(ようごうしゅう)」とび、これらの仏さまを
お祀りしているお堂が影向堂です。
浅草寺でいただいた御朱印は、本尊の“聖観世音菩薩”様、そして、坂東三十三観音霊場の第13番札所になります。
また堂内には浅草名所七福神の内の大黒天をお祀りしており、“大黒天”の御朱印をいただくことが出来ます。
浅草神社 (恵比須)
浅草寺本堂の右横、東側にあるのが“浅草神社”です。
浅草神社は、明治の神仏分離令により、浅草寺とは別法人になった神社です。
浅草寺の起源となった漁師の兄弟二人と土師真中知郷司、この三人を“三社権現”と称し、神として祀ったのが
三社権現社、浅草神社の始まりだそうです。
浅草神社が、『三社さま』と呼ばれ親しまれているのも、この三人の神様を祀ったことに由来するそうです。
毎年5月の中頃には、有名な『三社祭』が盛大に行なわれます。
下は、浅草神社の御朱印です。
浅草神社には、浅草名所七福神の“恵比須神”が祀られています。
待乳山聖天 (毘沙門天)
待乳山聖天(まつちやましょうでん)は、浅草神社から徒歩10分ほどの台東区浅草七丁目、隅田川べりの小高い丘(待乳山)
に建つ寺院です。
山号は待乳山、本尊は大聖歓喜天(聖天)になり浅草寺の子院の一つになります。
寺の案内によりますと、創建は6世紀末、推古天皇の御代とのことです。
聖天さんへのお供え物は大根とか、本堂(写真下)内には、信者から奉納された沢山の大根が並んでいました。
下は本尊の大聖歓喜天の御朱印になります。
なおこちらには、浅草名所七福神の“毘沙門天”が祀られています。
今戸神社 (福禄寿)
今戸神社(いまどじんじゃ)は、待乳山聖天から徒歩3分ほどの今戸一丁目に鎮座する“今戸焼招き猫の発祥の地”と
言われる今戸神社です。
今戸神社は、1063年に、京都の石清水八幡を勧請し、今戸八幡として創建したのが始まりだそうです。
本殿(写真上)の中には、大きな“招き猫が存在感を放っています。
招き猫は、商売繁盛や招福を願い、店先や一般の家庭で玄関などに飾られています。
招き猫の登場は江戸時代、人形としての招き猫はここ今戸の地で十六世紀から焼かれていた今戸焼が始まりだそうです。
社伝によりますと、江戸時代のことですが、浅草に住むある老婆が、貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢にその猫が
「自分の姿を人形にしたら必ずや福徳を授かる」といったそうです。そこで老婆が片手を挙げた人形を作り、浅草寺の
参道で売り出してみたら大評判だったとのことです。
この今戸焼の招き猫、今戸神社では、“オス猫とメス猫が一体”になったものを、商売繁盛・招福に加えて、“良縁招き猫”
として授与しています。
この“良縁招き猫”が若い女性に人気で、境内には、驚くほど多くの願いが込められた良縁招き猫の絵馬が奉納されています。
いただいた今戸神社の御朱印にも、“良縁招き猫”が押され「招き猫発祥の地」と記されていました。
こちらには、浅草名所七福神の“福禄寿”が祀られています。
橋場寺不動院 (布袋尊)
橋場寺不動院(はしばじふどういん)は、今戸神社から徒歩15分ほどの台東区橋場二丁目にある天台宗の寺院です。
山号は砂尾山、本尊は不動明王になります。
正式名称は砂尾山橋場寺不動院といいますが、「橋場不動尊」の名で親しまれています。
寺の案内によりますと創建は、天平宝字四年(760)、寂昇上人によって開かれたそうです。
下は本尊の橋場不動尊の御朱印です。
下は、浅草名所七福神の御朱印、“布袋尊”になります。
石浜神社 (寿老神)
石浜神社は、橋場不動院から徒歩3分、白髭橋西詰めの荒川区南千住三丁目にある神社です。
当社は、聖武天皇の神亀元年(724)、勅願によって開創されたそうです。
本殿(写真上)に向かって左手前には、平安初期の漂泊の歌人、在原業平の歌碑(下写真右側)が建っています。
業平が京からはるばる大川のほとりに流れ来て、川面の都鳥を目にした時に、望郷の思いを綴ったという
『伊勢物語、東下り』の一節が記されています。碑の建立は文化二年(1805)になるそうです。
“名にし負はば いさこととはん 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと”
石浜神社の御朱印です。
下は、浅草名所七福神の御朱印、“寿老神”になります。
鷲神社 (寿老人)
鷲神社(おおとりじんじゃ)は、石浜神社から徒歩20分ほどの台東区千束三丁目に鎮座する神社です。
鷲神社の祭神は、天日鷲命と日本武尊になります。
「おとりさま」として一般にも親しまれており、また十一月の例祭は「酉の市」として、大変なにぎわいを
見せています。
社伝によりますと、日本武尊が東征の帰途、当社の松に熊手をかけて勝ち戦のお礼参りをされた日が、ちょうど
11月の酉の日であったことからその日に神様をおなぐさめする祭が行われるようになり、それが“酉の市”の始
まりだそうで、鷲神社が酉の市発祥の地になるそうです。
いただいた鷲神社の御朱印には、“熊手”が押印されていました。
下は、浅草名所七福神の御朱印、“寿老人”になります。
吉原神社 (弁財天)
吉原神社は、鷲神社から南へ徒歩3分ほどの千束三丁目にある神社です。開運、商売繁昌、技芸上達などの神様である
弁財天と稲荷神である倉稲魂命を祭神に祀る神社です。
吉原神社は、新吉原遊郭に古くからあった九朗助稲荷社と廊内4隅の守護神の4つの稲荷神社が、明治五年に吉原神社
として、合祀され創建されたということです。
吉原遊郭の悲喜こもごもに係わり、遊女の願いを聞いてこられた弁天様ということが言えそうです。
弁財天と書かれた御朱印には、弁天様のお使いである“へび”が墨書きされています。
矢先稲荷神社 (福禄寿)
矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)は、地下鉄銀座線田原町から徒歩5分ほどの台東区松が谷二丁目にある神社です。
祭神は、稲荷神の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)になります。
矢先稲荷神社は、徳川家光が寛永19年(1642)に創建した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源として
いるそうです。
下は、浅草名所七福神の御朱印、“福禄寿”になります。
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