西国三十三所観音霊場とは
西国三十三所観音霊場とは、近畿2府4県と岐阜県にある33か所の観音霊場を言います。この三十三所をめぐる巡礼は、最も歴史がありまた参拝者が多いことで知られています。 三十三という数は、観音様が衆生を救済する時に、33の姿に変化するという信仰に基づくもので、その功徳に得るために三十三の霊場を巡礼することになるわけです。西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消え、極楽往生できるといわれています。また巡礼者が、願をかけ観音様に一心におすがりすることにより、願いがかなうといわれています。 言い伝えによりますと、西国三十三所観音霊場は、大和の長谷寺を開いた徳道上人が、閻魔大王から夢の中で「三十三の宝印」を授かり霊場を設けたのが始まりといわれています。 また、寛和二年(986)に19歳で法王になられた花山法王は、比叡山や熊野の那智山で修業した後、西国観音霊場巡礼を発願、観音霊場巡りを復興されたそうです。 なお第一番の熊野青岸渡寺から三十三番岐阜の華厳寺まで、およそ1000キロの行程になりますが、15世紀、室町時代中ごろには、庶民の間にもこの巡礼が定着していたようです。
第一番札所 那智山青岸渡寺
青岸渡寺は、和歌山県那智勝浦町にある熊野那智大社と軒を並べている天台宗の寺院です。
山号は那智山、本尊は如意輪観音になります。
かつての那智山は神仏習合、神社と仏寺とに分離できるようなものではなかったそうです。明治の神仏分離令は、
もともと一体であった神仏習合の霊地に、神か仏かのどちらか片方を選択するように命じ、本宮も新宮も神を選び、
仏を捨て、寺院は取り壊されたそうです。 那智でも神を選び、廃仏毀釈を行い、多くの仏寺が取り壊されたようですが、
本堂であった如意輪堂は、西国三十三所霊場の第一番札所でもあり、さすがに取り壊しはされなかったということです。
青岸渡寺の創建は、仏教伝来以前の仁徳天皇の御代(313~399)に、インドから熊野に漂着した裸形上人による伝えら
れています。上人が、那智の滝壺で金製の如意輪観音を見つけ、これを本尊として祀ったのが始まりだそうです。
下の写真は、那智の滝になります。
寺の近くまで車で登ることができますが、今回は熊野古道、中辺路の一部になる「大門坂」から入ります。
大門坂は、樹齢数百年の深い杉木立に囲まれた石畳の道で、熊野信仰の面影が色濃く残っているところです。
本堂前から那智の滝をバックにした三重塔は、那智でも最高の写真スポットになっています。
いただいたご朱印には、『普照殿』と書かれています。 「観音様のご慈悲があまねく照らされるお堂です」と
いうことかと思います。
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