西国三十三所の札所 第6番壺阪寺から岡寺、長谷寺、そして第9番札所興福寺南円堂をめぐる御朱印めぐりを紹介しています。
第6番札所 南法華寺(壺阪寺)
壺阪寺は、近鉄吉野線壺阪山駅カからバスで10分ほど、奈良県高取町にある真言宗系の寺院であり、
正式名称は南法華寺になります。 山号は壺阪山、本尊は眼病に霊験があるといわれる十一面千手観音菩薩で、
西国三十三観音霊場の第6番札所になります。
寺の縁起によりますと、創建は大宝三年(703)、奈良の元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していた時、
愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んで祀ったのが始まりになるそうです。
壷阪寺は、桓武天皇をはじめ、平安の昔から多くの人々に眼病に霊験あらたかな寺として信仰を集めています。
仁王門は、鎌倉時代、建暦二年(1212)の建立になるそうです。
本堂八角円堂には、本尊の十一面千手観世音菩薩が安置されています。
このお堂は、八角形の形をしていて江戸時代の再建されたものになります。
本堂に隣接する礼堂は、創建当初から本尊を礼拝するために建てられたものです。
現在の礼堂は室町時代に再建されたものになるそうです。
三重塔も礼堂と同じ室町時代の建立で、重要文化財に指定されています。
寺域の山の斜面には、インド天竺渡来の高さ20mの白い大観音石像が立っています。
また、 その手前には大涅槃石像があります。
大観音石像は、インドハンセン病救済事業への尽力の返礼として、インドから贈られたたものだそうです。
いただいた御朱印には、「普照殿」とかかれていました。
観音様の慈悲の光が全てのものを普く照らしてくれるお堂ということが出来るかと思います。
本堂の近くには、座頭の沢市とお里が身を投げたが観音様の慈悲の力に救われたという、「投身の谷」と
言い伝えられている谷があり、そこには沢市とお里の仲睦まじい像が立っています。
第7番札所 岡寺(龍蓋寺)
石舞台から北へ15分ほど歩くと真言宗豊山派の寺院、岡寺になります。 一説には、丘の上にある寺から岡寺と言われる
ようになったとか、岡寺前のバス停からだらだら続く坂道をおよそ10分ほど登っていったところにあります。
岡寺は正式には龍蓋寺と称し、山号は東光山、本尊は如意輪観音で西国三十三ヵ所観音霊場の7番札所になります。
日本最初の厄除け霊場としても知られています。
寺伝によりますとおよそ1300年前、天智天皇の勅願によって義淵僧正が建立されたとなっています。
『龍蓋寺』という名は、この地を荒らし農民を苦しめていた龍を義淵僧正がその法力をもって封じ込めた
ことからその名が付いたといわれています。 龍を封じ込めたとされる池、「龍蓋池」が本堂の前にあります。
岡寺に現在まで続く「やくよけ」信仰の所以は、この『龍に蓋をする』ということからきているそうです。
鎌倉初期の歴史物語『水鏡』にも、厄年には、龍蓋寺にお参りするとよいということが書かれてあるそうです。
いただいた御朱印には、“厄除大悲殿”と記されていました。
第8番札所 長谷寺
近鉄大阪線桜井駅から二つ目の長谷寺駅で下車、正面の階段(う回路もありますが)を真っすぐに降り、
初瀬街道、初瀬川を渡り、つきあたりを右に曲がると、長谷寺の参道を意識できる通りに入ります。
この通りを東に進んでいくと、10分ほどで、長谷寺の入口になります。
長く続く長谷寺独特の登廊(写真上)を登ると途中に、百人一首で有名な紀貫之の“故里の梅”があります。
『人はいさ 心も知らず 故里の 花ぞ昔の 香に にほひける』 は、貫之が、長谷寺に参拝に行った時
に宿で読んだ歌だそうです。 「あなたは、さあ、昔のままのお心なのでしょうか? でも、以前よく訪れ
たこの里には、昔と同じように梅の花が香っていますね。」と一見、恋の歌のようにも思いますが、実は
貫之が定宿としていた宿の主人の皮肉への返歌だそうです。 長谷寺参拝の足が遠のいていた貫之に、宿の
主人が遠まわしに「昔どおりに宿はありますのに」と責めたときに、貫之は、宿に生えていた梅の花を見て、
返した歌なのだそうです。
長谷寺は、686年に道明上人が天武天皇のために祈願したことに始まる寺院で、御本尊は、鎌倉の長谷寺と
同じ十一面観音菩薩になります。現在の長谷寺は、真言宗豊山派の総本山です。
また西国三十三観音霊場第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られています。
本堂は、小初瀬山中腹の断崖絶壁に舞台造りされた南面の大殿堂で、国宝に指定されています。
いただいた御朱印には、「大悲閣」と書かれていました。
第9番札所 興福寺 南円堂
近鉄奈良駅から、若草山の方向に大通りを歩いていくとおよそ五分で、興福寺になります。
興福寺は、南都六宗の一つ「法相宗」の大本山となる寺院で、本尊は釈迦如来になります。
寺伝によりますと、興福寺の起源とされるのは“山階寺”です。 山階寺は、669年、藤原鎌足の夫人、鏡女王が
夫の病回復を祈願して造営したのが始まりだそうです。
710年の平城遷都の時に、現在の地に移されるとともに“興福寺”と名付けられたそうです。
寺の最盛期には、建物の数が175もあった大寺で、鎌倉・室町時代には、幕府は大和の国には守護をおかず、
興福寺がその任にあたっていたそうです。
興福寺には、有名な五重塔や東金堂(写真下)を始め、天平文化を代表する阿修羅像などを安置する国宝館があり、
また薪御能や節分の鬼追いなど古来の日本文化を伝える行事も多く残っています。
国宝館では、三面六臂の貴公子然とした“阿修羅像”の他に、定慶作と言われ“金剛力士像”や“千手観音立像”など
多数の宝物が公開されており、見応え十分でした。
御朱印は、いくつかのお堂でいただけますが、興福寺を代表するのは「興福力」の御朱印です。 「興福力」は、
寺名の由来となった“維摩経”の中の一説「福力を興さしむ」から来ている言葉になります。
南円堂に不空羂索観音が祀られていて、西国三十三所観音霊場の第九番札所になっています。
南円堂でいただいた御朱印には、「南円堂」とお堂名が書かれていました。
また「猿沢の 池のほとりの寺庭に 瑠璃の光は あまねかりけり」とうたわれている御詠歌の御朱印
をいただいてきました。
猿沢の池越しに五重塔を仰いだ想い出がよみがえってきます。
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