西国三十三所の札所 竹生島宝厳寺、長命寺、観音正寺をめぐる第30番から32番に至る御朱印めぐりを紹介しています。
竹生島は、琵琶湖の北部にある周囲2㎞の島で、日本三弁才天また西国三十三所観音霊場の第30番札所
「宝厳寺」のある島として、古来より人々の厚い信仰を集めてきた所です。
島には長浜や今津、そして彦根から定期船が通っていて、港は島の南側に一箇所、宝厳寺、都久夫須麻神社は
そこからすぐの所にあります。寺社関係者ならびに数店の土産物店などの店舗従業員はいずれも島外から通って
いるため基本的には無人島になります。
下の写真は船の上から竹生島を見たものですが、正面三重塔が見えるあたりが宝厳寺、右端が都久夫須麻神社になります。
宝厳寺は、真言宗豊山派の寺院で、山号は巌金山、本尊は弁才天になります。
寺の紹介によりますと、創建は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願により僧行基が開基したと言われています。
現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれていますが、明治の神仏分離令が発せられる
までは神仏習合の信仰が行われていて、とりわけ平安時代末期頃からは長く観音信仰と弁才天信仰の島として
栄えてきました。下の写真を見ても寺と神社が一体となっていたことがお分かりいただけると思います。
参道の石段を登り切った所が本堂になります。
従来の本堂は、神仏分離令により都久夫須麻神社の本殿になっていて、本尊の弁才天を安置する現在の
本堂(写真上)は、昭和十七年に再建されたものになるそうです。 三重塔から石段を下りた所にあるのが、
唐門そして観音堂になります。 観音堂に接して建つ唐門(写真下)は、豊国廟(豊臣秀吉の霊廟)の唐門を
移築したもので、国宝に指定されています。
観音堂には千手観音が安置されていて、西国三十三観音霊場の第30番札所になっています。
こちらで、観音様「大悲殿」の御朱印をいただくことができます。
下の写真は、都久夫須麻神社に続く「舟廊下」になります。
なお宝厳寺では本尊「弁才天」の御朱印、また都久夫須麻神社でも御朱印をいただくことが出来ます。
第31番札所 長命寺
長命寺は、滋賀県近江八幡市にある天台宗系の寺院です。
山号は姨綺耶山、本尊は千手十一面聖観世音菩薩三尊一体になります。
開基は聖徳太子、創建は推古天皇二十七年(619)になるそうです。 長命寺は、16世紀の初めに戦火に遭い、
伽藍の殆どは焼失してしまい、現存する建造物は大永年間から慶長年間(1521-1614)にかけて再建されたもの
といわれています。 琵琶湖岸にそびえる長命寺山の頂上近くの南側山腹にあり、本堂へは、湖岸から
「八百八段」もある長い石段が続いていますが、車で本堂下まで登っていくことができます。
境内には、本堂(写真下)の他、三重塔や護摩堂、鐘楼などが立ち並び、いずれも重要文化財に指定されています。
下の写真は三仏堂、その先の一段高い所に鐘楼が建っています。
山の斜面には、ところどころに大きな岩が露出しています。特に本堂の裏の巨岩は「六所権現影向石」と
呼ばれ、巨岩信仰の名残を残しています。
いただいた御朱印には、「大悲殿」と書かれていました。
第32番札所 観音正寺
観音正寺は、滋賀県近江八幡市にある天台宗系の寺院です。 標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の
山頂近くに位置し、山号は繖山、本尊は千手観音になります。 寺の縁起によりますと、創建は推古天皇
十三年(605)、開基は聖徳太子によると伝えられています。 車で繖山を上がっていくと、境内の手前
500メートルほどの所で、車を降りることになります。
緩やかな山道を登っていくと、山門はなく一対の仁王像が迎えてくれます。
現在の本堂は、平成五年(1993)に失火で焼失し、平成十六年に再建されたものになります。
いただいた御朱印には、「大悲殿」と書かれていました。
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