天満宮、天神社は、学問の神、天神さま『菅原道真』公を祭神とする神社のことを言います。
太宰府に左遷された道真が亡くなった後、平安京で落雷が相次ぎ、政敵であった藤原氏の大納言、藤原清貴が亡くなったりしたことから、道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視されるようになったようです。
「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満大自在天神」から来たといわれています。ちなみに、怖い目にあった時など『くわばらくわばら』と災難を避けようとこの言葉が使われますが、これは、なぜか不思議と、道真の領地であった桑畑だけには雷が落ちなかったことに由来すると言われています。
道真は優れた学者であったことから「学問の神様」とも言われ、全国各地の天満宮には、多くの受験生が合格祈願に訪れます。幼少のころから学才に優れ、5歳にして「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にも つけたくぞある」と梅を詠まれたという。
藤原氏により、太宰府に左遷されられることになった道真は、 住み慣れた紅梅殿の梅を見て「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」とうたったことは良く知られています。
特に道真と関係が深い北野・太宰府の二つに、天神さまを祀る神社の中で最古となる防府天満宮を加えた三社が日本三天神と呼ばれています。
北野天満宮(京都)
京福電車の終点、北野白梅町駅から北東へ、歩いておよそ5分で北の天満宮に到着します。
北野天満宮は、菅原道真をお祀りした神社の中心となる所で、京都では親しみを込めて
「北野の天神様」とも呼ばれています。
北野天満宮は、京の右近の馬場に朝廷が道真の怨霊を鎮めるために造営されたもので、
創建は947年、菅原道真の慰霊と皇城鎮護の神として北野の地に祀られています。
学問の神様として、合格祈願などの参拝者が多く、毎年境内には、10万もの絵馬がつる
されるそうです。
太宰府天満宮 (福岡県)
太宰府天満宮へは、西鉄福岡駅から急行に乗ると15分ほどで二日市駅に到着、ここで
西鉄太宰府線に乗り換えるとおよそ5分で太宰府駅に到着です。
駅を降りればそこはもう天満宮の参道、両側に並ぶ土産物屋や名物の”梅が枝餅”の甘く
香ばしい香りに気をとられながら歩けば、ほどなく天満宮に到着です。
創建は、平安時代の905年、道真の墓の上に祀廟が建てられ、919年には勅命により
社殿が建立されました。その後、道真の無実が証明され、『天満大自在天神』の御位
を贈られ、「天神さま」と崇められるようになったわけです。
道真の墓どころである太宰府天満宮は、全国におよそ12,000社あると言われる天神さま
をお祀りする神社の総本宮として、信仰を集めています。
境内に入るとすぐに、有名な「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて
春な忘れそ」という歌碑が建っています。
天満宮本殿には、池が漢字の“心”という字で形造られている“心字池”を通って本殿へと
進んでいきます。心字池にかかる橋は、太鼓橋、平橋、太鼓橋の順に並び、それぞれ
過去、現在、未来を表しているそうです。
橋を渡ると楼門になりますが、この楼門は太鼓橋側と本殿側で形状が異なる珍しい門です。
本殿(写真下)の右前には、道真を慕って京から一夜にして飛んできたと言われる“飛梅”の木が、
御神木としてたたずんでいます。
この梅の木は、境内で毎年真っ先に白い花を咲かせるそうです。
防府天満宮 (山口県)
防府天満宮は、山陽本線防府駅から徒歩20分ほどの所にあります。
社伝によりますと、菅原道真が、九州へ下向する途中、時の周防の国司、土師信貞の館に滞在になり、家宝の“金の鮎”を国司に託して旅立たれたそうで、防府天満宮では、いまでも5月15日に、道真公を偲ぶ『金鮎祭』が行われるそうです。
防府天満宮の創建は、道真公がなくなった翌年の904年、土師国司が、今の松崎の地に宝殿を建立したことに始まると言われ、道真公を祀る神社の中で最も古い神社になるわけです。
防府天満宮の境内には、“芳松庵”と言われる茶室があります。これは勅命によりお茶に
関する調査研究を行い、茶聖と呼ばれる菅原道真の遺徳をしのぶものです。