「お不動さん」と親しまれている不動明王は、密教の世界で大日如来が「教令輪身」に変化した姿と言われています。火焔を背にして右手に剣、左手に縄を持ち、憤怒の恐ろしい姿をしています。これは、仏法に従わないものを恐ろしい姿で降伏させ、強い力で強制的に教化する明王の姿になります。
不動明王は、祈願者の願うことすべてにご利益をいただけるそうです。不動明王が火焔を背にしているのは 『火生三昧』といって、 衆生の煩悩を大智慧の火で焼きつくして、悟りに導こうとしているからだそうです。なお不動明王の前では、護摩を焚くのが宗教的儀式作法になっているそうです。
この記事では、日本三大不動と言われている“成田山新勝寺”“目黒不動尊”“木原不動尊”の御朱印めぐりを紹介します。
成田山新勝寺 (千葉県)
新勝寺は、真言宗智山派の総本山で山号が成田山になります。
成田のお不動様と呼ばれるように本尊は不動明王、歌舞伎の成田屋・市川團十郎丈、
海老蔵丈など多くの人々が江戸の昔から参詣する霊場です。
家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多く、初詣には日本第2位
となる300万人近い参拝客が訪れる関東有数の寺院です。
下の写真は、仁王門前になります。
開山は天慶2年(939)、平将門の乱平定の為、朱雀天皇の勅命を受けた寛朝大僧正が
弘法大師自らが刻眼したという不動明王像を持って関東に下り、成田の地で戦乱が鎮
まるよう御護摩を焚いて祈願されたのが始まりと言われています。
またその時に、「新たに勝つ」ということで、新勝寺と名付けられたそうです。
下の写真は、不動明王像がある大本堂になります。
境内は驚くほど広く、新旧のさまざまな建造物が並んでいます。
境内北奥には、昭和59年建立の真言密教の象徴である“平和の大塔”(高さ58m)が
存在感を持ってそびえています。
江戸中期~末期の建築である仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂、光明堂の5棟が国の
重要文化財に指定されています。
下の写真は、奉納された額や絵馬をかける額堂になります。
御朱印は、大本堂、光明堂、釈迦堂の3か所でいただけますが、ここでは大本堂の
本尊“不動明王”の御朱印を紹介します。
目黒不動尊 (東京都)
地下鉄南北線不動前駅から5分ほどの東京都目黒区下目黒にある目黒不動尊、瀧泉寺に到着します。
瀧泉寺は、天台宗のお寺であり、不動明王を本尊としていますので、“目黒不動”と呼ばれています。
こちらの縁起によりますと、目黒不動尊は、808年に、十五歳の慈覚大師円仁が下野国から比叡山
に赴く途中に不動明王を安置したのが始まりという関東最古の不動霊場になるそうです。
仁王門から境内に入ると、正面に本堂に続く男坂の階段が目に入ります。男坂手前の左手に
池があり、2体の龍の口から水が吐き出ています。
寺に伝わる言い伝えでは、円仁が寺地を定めようと仏具の一種を投げたところ、
その落下した所から泉が涌き出し、今日まで枯れずに水がわいているとのことです。
男坂の階段を上ると正面に不動明王を本尊とする本堂が控えています。
木原不動尊 (熊本県)
長寿寺 木原不動尊は、熊本市南区富合町にある天台宗の寺院です。
山号は雁回山、本尊は“大聖不動明王”で、千葉の成田不動尊、東京の目黒不動尊と並ぶ
日本三大不動尊の一つに数えられ、長寿寺は通称“木原不動”と呼ばれ親しまれています。
下の写真は、本堂になります。
寺の案内によりますと、創建は延暦年間と古く、伝教大師の開基と伝えられ、往時は西国
第一の談議所となっていたそうです。
伝教大師最澄作と伝えられる本尊“大聖不動明王” の胎内には大師御真筆の紺紙金泥の法華
経寿量品が奉蔵されているそうです。
下の写真は、大きな2体の仁王像が安置されている“仁王門になります。
毎年2月28日に行われる寺の祭には、信者が素足で火の上を渡る“火渡り”や、煮えたぎった
釜の熱湯の中に座る“湯立て”の荒行が行われ、数万人の参拝客でにぎわうそうです。
いただいた御朱印には、“本尊大聖不動明王”と書かれていました。