日本三弁才天 御朱印めぐり
弁才天は、元々は仏教の守護神の一つになります。
日本では、宗像三女神の一柱である市杵島姫命と習合して神社の祭神となり,水神として湖や池、海などの水辺にまつられることが多いようです。
また、日本では「才」が「財」の音に通じることから、“財宝神”の性格が加えられ、「弁財天」と表記する場合も多いようです。
数多い弁才天を祀る寺社の中で、琵琶湖竹生島,湘南江の島,安芸厳島に祀られる弁才天が,日本三弁天として数えられることが多いようです。
宝厳寺 (滋賀県)
宝厳寺は、滋賀県長浜市の琵琶湖に浮かぶ竹生島にある真言宗豊山派の寺院です。
長浜や彦根から定期船で渡ることになります。
宝厳寺の山号は巌金山、本尊は弁才天になります。
寺の紹介によりますと、創建は神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により僧行基が開基した
と言われています。
現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれていますが、明治の神仏分離令が
発せられるまでは神仏習合の信仰が行われていて、とりわけ平安時代末期頃からは長く観音信仰と
弁才天信仰の島として栄えてきたそうです。
現在でも宝厳寺の観音堂と都久夫須麻神社は、「舟廊下」と呼ばれる屋根付きの廊下(写真上)で結ばれていて、
神仏習合の信仰の名残が色濃く残っています。なお都久夫須麻神社でも御朱印をいただくことが出来ます。
従来の本堂は、神仏分離令により都久夫須麻神社の本殿になり、本尊の弁才天を安置する現在の本堂(写真上)は、
昭和十七年に再建されたものになるそうです。本堂の中には、弁財天像(写真下)が2体、奉納されていました。
いただいた御朱印には、「竹生島 大弁才天」と書かれていました。
観音堂に接して建つ唐門(写真下)は、豊国廟(豊臣秀吉の霊廟)の唐門を移築したもので、国宝に指定されています。
観音堂には千手観音が祀られていて、西国三十三観音霊場の第30番札所になっています。
こちらでも観音様の御朱印をいただくことができます。
江島神社 (神奈川県)
社伝によりますと江島神社の創建は、欽明天皇十三年(552)、欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟(岩屋)
に神を祀ったのに始まるそうです。
江島神社の祭神は、多紀理比賣命、市寸島比賣命、田寸津比賣命でそれぞれ、奥津宮、中津宮、辺津宮に
祀られています。この3女神を合わせて江島大神と称するそうです。
江島大神は、仏教との習合により江島弁財天として信仰されるようになり、海の神、水の神に合わせて
幸福・財宝を招き芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで崇敬されているということです。
弁天橋(写真上)を渡るとすぐに江戸時代に再建されたという“青銅の鳥居”が見えてきます。
鳥居をくぐるとサザエの壺焼きや土産物屋が立ち並ぶにぎやかな参道になります。
緩やかな参道を行きますと正面に朱の鳥居、その先に“瑞心門”(写真下)と呼ばれる龍宮門が見えてきます。
階段を登ると江島神社の本社となる辺津宮(写真下)になります。
辺津宮は建永元年(1206)源実朝により創建されたということですが、現在の建物は江戸時代に再建された
ものになります。辺津宮では、『江島神社』の御朱印をいただくことができます。
辺津宮の隣には、八臂弁財天と裸弁財天と呼ばれる妙音弁財天を祀る八角のお堂、奉安殿(写真下)が
あります。
奉安殿の御朱印が『江の島 弁財天』になります。
下の写真は、奉安殿の近くからみた七里ガ浜方面になります。
大願寺 (広島県)
大願寺は、安芸の宮島、厳島神社の西隣に位置する高野山真言宗の寺院です。
下の写真は、海上から見た厳島神社の全景ですが、向かって右隣に大願寺があります。
宮島に上陸し、まずは厳島神社に参拝し御朱印をいただいて、神社の廻廊伝いに大願寺に向かいます。
大願寺の開基は、高野山を開いた空海という説もありますが定かではありません。
建仁年間(鎌倉時代)に僧了海によって、再興された寺と言われています。
本尊は薬師如来と神仏分離令によって、明治の初めに厳島神社から遷された“弁財天”になります。
神仏習合の時代は嚴島神社の主神・市杵島姫令が理財の女神として崇められ、仏教の弁才天と同一視されてきたそうです。
山門(写真上)と本堂(写真下)は、江戸時代の元禄年間に建てられたものになるそうです。
本堂の前には、伊藤博文公のお手植えと伝えられる”九本松”が存在感を持って立っていました。
いただいた御朱印には、「厳島 弁財天」と書かれていました。