皇室とゆかりのある寺院でいただく御朱印には、菊の御紋が入ったものがあります。かたじけなさを感じる方も多いのではと思います。
菊の御紋と呼ばれる皇室を表す菊の紋章は、八重菊を図案化したもので十六八重表菊を表しています。皇室に菊の御紋が定着したのは、古く鎌倉時代だそうです。
なお、幕末のはやり歌には「菊は咲く咲く 葵は枯れる」と歌われているそうです。今は、パスポートの表紙にも十六菊がデザインされていたり、自由民主党の党章にも使われています。
泉涌寺 (京都府)
泉涌寺は、京都市東山区泉涌寺山内町にある寺院で、真言宗泉涌寺派の総本山になります。
開山は1218年と言われ、寺地の一角から清水が涌き出たことから泉涌寺と名付られたと
言われています。なおこの泉は今も枯れることなく涌き続けているそうです。
皇室との関係は、鎌倉時代の四条天皇崩御の葬儀が泉涌寺で営まれ、山稜が当寺に造営されたそうです。
その後、南北朝~安土桃山時代の諸天皇、続いて江戸時代に後陽成天皇から孝明天皇に至る歴代天皇・皇后の
御葬儀は当山で執り行われたそうで、山稜が境内に設けられています。
このように、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)」と呼ばれているのが泉涌寺です。
下の写真は皇室菩提寺としての御朱印です。菊紋が立派に大きく押印され、香を焚き花を供える場所、
という意味の「皇室香華院」の印、そしてその場所である「霊明殿」が書かれています。
そして最後に「みてら」と記されています。
仁和寺 (京都府)
仁和寺は、京都市右京区御室にある真言宗御室派の総本山になる寺院です。
開基(創立者)は、宇多天皇で仁和四年(888)に建立、寺号も仁和寺になったそうです。
出家後の宇多法皇が住まわれたことから、「御室御所」と称され門跡(住職)には、明治に
至るまで代々皇族の方がつかれていたと言われます。
仁和寺は、桜の名所としても知られ、特に中門内の西側一帯には「御室桜」と呼ばれる
遅咲きの桜の林があります。古く江戸時代の頃から庶民の桜として親しまれているそうです。
ちなみに、世界的なエレクトロニクス企業の“オムロン”は、御室で生まれた企業であり、
社名もそれに由来するとのことです。
見開きでいただいた御朱印には『わけのぼる 花の嵐の梢より 御室の山に 月ぞかがやく』
と月に映える御室桜の見事さが詠われた御詠歌と右側は、”旧御室御所”と墨書きされています。
青蓮院 (京都府)
青蓮院は、京都市東山区粟田口にある天台宗の寺院で、京都五か所門跡の一つに数えられて
いるお寺です。青蓮院は、古くから皇室と関わりが深い門跡寺院(住職が皇室や摂関家が受
け継いでいる)と言われています。
江戸時代の天明八年(1788年)、大火によって御所が炎上した時には、後桜町上皇が青蓮院
を仮御所として避難されたそうです。それがご縁で青蓮院は栗田御所と呼ばれているそうです。
起源は、最澄が天台宗を開くにあたって、比叡山の山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、
その一つの“青蓮坊”が青蓮院の起源であると云われています。
青蓮院の主庭は、室町時代の相阿弥の作と伝えられ、粟田山の山裾を利用した幽邃な趣の池泉
回遊式の庭となっています。
いただいた御朱印には、門跡寺院として大きな菊紋が押されていました。また開創の時
からの本尊である「熾盛光如来曼荼羅」の“熾盛光如来”が墨書きされていました。
白峰神宮
白峯神宮は、京都市右京区にある神社です。
保元の乱で讃岐に配流されてその地で亡くなり、讃岐の白峯山陵に奉葬された崇徳天皇と
道鏡と対峙し藤原仲麻呂の乱を契機に淡路島に配流されて、その地で亡くなった淳仁天皇
を祀っている神社です。
もともと社の境内は、蹴鞠の宗家であった公家の飛鳥井氏の土地であったため、 境内には
蹴鞠動の神である精大明神が祀られており、サッカーをはじめとするスポーツ関係者の参拝者
が多い神社です。写真のように境内には、奉納蹴鞠をする場も設けられています。
宝鏡寺 (京都府)
宝鏡寺は、京都市上京区百々町にある臨済宗系の寺院です。
室町時代に、光厳天皇の皇女の華林宮恵厳が、伊勢の二見ヶ浦で魚網にかかった聖観世音菩薩
を建福尼寺に安置し、建福寺を改めて宝鏡寺としたのが当寺の開山として伝えられているそうです。
後水尾天皇の皇女の久厳尼が入寺して以降、多くの皇女が入寺する尼門跡寺院となり、
百々御所(どどのごしょ)という御所号も賜ったそうです。
寺へ入った皇女へ御所から多くの人形が贈られてきたため、これを保存しているそうです。
そのため人形の寺として知られるようになり、一般からも人形が供養として納められるよう
になっているそうです。
境内には人形の供養のために人形塚が建てられています。
いただいた御朱印は、花模様にあしらった6つの菊紋、そして本尊の”観世音菩薩”と
書かれていました。
吉水神社 (奈良県)
吉水神社は、もとは吉水院と称し、白鳳年間(650~654)に役行者が創立したと伝わる
きわめて古い吉野修験宗の僧坊であったと言われています。
明治維新の神仏分離令により、神社となったもので、後醍醐天皇が主祭神として祀られています。
1336年足利尊氏による光明天皇の擁立、後醍醐天皇の吉野転居により、朝廷が南と北に分裂し、
世にいう南北朝時代が始まりました。そして吉水神社が、後醍醐天皇の南朝の皇居になったわけです。
「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音」という後醍醐天皇が詠まれた歌は、
玉座の下を流れる瀬古川のせせらぎを聞かれてうたわれた歌と言われています。
なお、拝観をすれば、後醍醐天皇の玉座(写真上)の他、追われた源義経が潜んだ
義経潜居の間、弁慶思案の間などが、当時のままに見学できます。
また、境内は、一目千本と言われる吉野の桜の展望台があり、吉水神社は、豊臣秀吉が、
本陣を張り、盛大な花見の宴を開いた場所としても知られています。上の写真は、吉水
神社の境内から見た中千本になります。
中宮寺 (奈良県)
中宮寺は、法隆寺に隣接する奈良県斑鳩町にある国宝の半跏思惟像を本尊とする寺院です。
聖徳太子の母の願いによって、太子の住居を中心に西の法隆寺と対照的な東の位置に創建
された寺だそうです。
また法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として、当初から計画され建立されたものと推察されています。
そして、その後は定かでないことが多いそうですが、戦国時代に後伏見天皇八世の皇女が住職と
なり、以来、尼門跡として寺観を整えてきたそうです。
大和三門跡尼寺の随一として、飛鳥時代からの伝統を伝えている寺院になります。
飛鳥彫刻の最高傑作とも言われている半跏思惟像の端正な顔とその優しいほほ笑みは、これまで
多くの悩める女性の心を癒してこられたのではと感じた次第です。
御朱印にも、御本尊の半跏思惟像(如意輪観音菩薩)が墨書きされています。
赤間神宮(山口県)
赤間神宮は、下関市にあり眼下に関門海峡を望む高台に鎮座する神社です。
源平最後の決戦となった壇ノ浦の合戦に敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された第81代天皇、
安徳天皇を祀っています。境内には、安徳天皇の御陵や壇ノ浦に散った平家一門の墓があります。
壇ノ浦を望む水天門は、竜宮城を想わせる鮮やかな造り、その壮麗さには驚かされます。
水天門は、「今ぞ知る みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」と詠まれ、
安徳天皇を抱いて入水した二位の尼の願いを、昭和33年になって、竜宮造りの形で実現と
してものだそうです。
下の写真は、水天門からみた本殿になります。
また境内には、赤間ヶ関の阿弥陀寺(現赤間神宮)で「ほーういち、ほーいち」と呼ぶ
平家の亡霊に、耳をとられてしまった琵琶法師“耳なし芳一”の伝説にちなんだ“芳一堂”があります。
母からこの怪談を聞き、トイレに行くのが怖くなった子供のころを思い出した次第です。
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